swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

過剰品質は自己満足に過ぎない

けっこう前、あるオウンドメディアの責任者さんからご相談を受けたり、創作仲間の愚痴を聞いたりした中で、ちょっと気になった品質のお話です。

前者は「良い記事を書いているはずなのに、人が集まらない」と悩んでおり、後者は「正直なろうやカクヨムの上位作品のなにが面白いのか分からない」と悩んでおり、どっちもよく聞く話だなぁと思いながら、懐かしのじゃんがりあんMADを眺めていました。

 

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Xrdいつかswitchに来ないかなぁ、エル動かしてみたい。どストライクなキャラだから、いつか移植されると信じてますアークさん。

 

それは置いといて。

 

おそらくこのブログをご覧いただいている方にとっては、後者のほうがわかりやすいと思うので、そちらで話を進めましょう。

 

     *

 

いきなり話を逸らしますが、マクドナルドさんがめちゃめちゃ素材にこだわって10,000円のハンバーガーを作っても、たぶん誰も買わないと思うのです。理由は簡単で、そんな高品質なハンバーガー、少なくともマクドナルドさんが好きなユーザーは誰も求めてないと思われるため。

仮に世界中のハンバーガーに1から100まで品質スコアでも割り振ったとしましょう。品質スコア100のハンバーガーが、最も美味いとされるハンバーガーです。素材や調味料を世界中から厳選した最高級の絶品バーガー。

このときマクドナルドさんのファンの皆さんは、たぶんこのハンバーガー、いらないですよね。高すぎるし、そんなジャンクから程遠いハンバーガー食べたくもない。笑。マクドナルドさんは、あのたまに無性に食べたくなるジャンク感が良いのであって、あれがあるからたまに行きたくなるのであって、べつに「おいしいハンバーガー食べに行きたい」と思って行く所じゃないと思うのです(暴論)

 

要は、いくら高品質なハンバーガーでも、求めていない人にとっては過剰品質なわけです。品質は高ければ良いというものではありません。相手が求める品質にマッチしていることが必要です。

(ちなみに、筆者はここ12年くらいマクドナルドさんにお邪魔してないので、当時の感覚で書いています。苦笑。いまかなりお店も綺麗になりましたし、ハンバーガーやポテトもそこまでジャンクじゃなくなったのでしょうか?)

 

     *

 

で。

これは創作でも同じわけです。めちゃめちゃクオリティの高いラノベ(なにをもってハイクオリティとするのかは置いといて)を書いたところで、それを読者が求めてなければ、ただの過剰品質。つまり自己満足です。

よって、作品の品質(出来)を考えるときは、

  • ベクトルの方向性
  • ベクトルの太さ

この2つが必要だと思います。方向性とはテーマがマッチしているか、とか。太さとは、そのテーマで面白い作品が書けているか、とか。前者はオリジナリティとか時事性とか、後者は文章力とか構成力とかが絡んでくる話ですね。

以下、個人的な所感なので無視していただければと思いますが、こと「なろうやカクヨムの上位作品の何が面白いのかわからない。あんなクオリティ低いのに」的な愚痴が口を吐いてしまう方には、後者だけを磨いてきた方(逆にいえば、前者を重視してこなかった方)が多いのかなと思ってます。少なくとも、筆者の知人を見ている限りは、そう感じます。

ただ、筆者はネット小説をほとんど読まないので、間違っていればご指摘いただけましたら幸いです。

 

あと、知人の愚痴を聞いててもうひとつ気になったのは、クオリティを決めるのは「書き手」だという固定観念が強いこと。

筆者は仕事で記事を書くときも公募に出すときも、常にクオリティを決めるのは「読み手」だと考えています。

この話をすると、たまに「え?」と思われることがあるのですが、公募を考えていただくとわかりやすいと思います。評価する=作品のクオリティが高いかどうか判断するのは、読み手です。これはネット小説でもなんでも同じですよね。

ビジネス書なんかも分かりやすいと思います。ここ数年「ゼロから分かる」「漫画で分かる」的な入門書がプチブームですが(勝手にそう感じてるだけですかね? 苦笑)、たとえば「ゼロから分かるビットコイン」的な本が欲しい人に、ビットコインについてめちゃくちゃ詳しく書いた本を買ってあげても、いらないわけです。理解できないから。

このとき初心者が求めているクオリティは、情報の量や質ではありません。必要最低限の知識が網羅されているか、分かりやすいかといった、あたりでしょう。先の「漫画で分かる」的な手法は、この「伝え方」のクオリティを上げるために有効な一手なわけですね。

いずれにせよ、作品の品質は受け手に依存します。言い換えれば、作り手は受け手の考える高品質を吟味しなければ、受け手に「面白い」「役に立つ」などなどポジティブな感想を持ってもらうことはできません。

 

なんか疲れてきたので強引に締めますと、要は「読者の求めるベクトルの方向性とその太さにマッチした作品だからこそ上位にある」というだけの話を、2,000文字も無駄に費やして書いただけのことでした。

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。