swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

自分の小説で人が死にやすくなった話

近況
  • ひっっっさしぶりに「ウマ娘」起動したら、いろんな娘が増えていて、びっくりしました。ゼファーかわいい。あとクレーンゲームで自己最高記録の9個ゲットしました。地味にうれしい。
  • サングラス買い替えました。医者から「目を保護するためにかけなさい」といわれて早10年。個人的にイケメン以外に許されないアイテムという感覚なので最初は嫌でしたが、最近はカラーが増えたり、普通の眼鏡をサングラス化できたりと幅が広がったおかげで、そこそこイキってない感じに見えるのが良いです。でも、やっぱりかけたくはない。

 

     *

 

久しぶりに創作の話。退職が決まって多少なり時間ができ、数年ぶりにラノベ書き書きしていて、ふと思ったこと。

 

自分の作風を思い出すために、過去に書いた作品を読み返してみたのですが、直近の数作で妙に人が亡くなっています。

昔の作品から亡くなってはいるのですが、その頃は大半がモブで人数も少数。一方、最近の数作はメインあるいはサブが主。ストーリーの本筋に絡むネームドキャラが、よく天に召されています。

 

もともと昔から人が亡くなる作品は好きではなく、それは今も変わりません。基本的にハッピーエンドが好きで、昔は家族や友人、恋人が亡くなるドラマなんかを、お涙頂戴目的で人を殺すなと思っていました。みんないつまでも一緒にいるほうがどう考えても幸せじゃないか、ハッピーで涙を誘う物語にしてくれよ、と。

ラノベを書きはじめた頃もこの感覚が影響していたのか、メインやサブのキャラはまず亡くなりませんでした。人死にが発生せざるを得ない舞台をベースに書いた時くらいでしょうか。この時は100パーセント受賞をめざしたので、こうした自分の価値観をすべて捨てましたが、多少なり抵抗があったのも事実です。

 

そんな傾向が変わりはじめたのは、ここ3〜4作。時期にして5〜6年くらい前。まぁよく亡くなってます。

思えばこの間は、両親が手術で入院したり、いきなり倒れて救急車を呼んだり、家庭がバタバタしていました。その流れで父の会社の通帳やら社印やらを僕が預かるようになったり、その時に備えた話がちらほら出てきたり……。心の準備もできないまま、両親のその時を否が応にも意識せざるを得なくなりました。

大学時代に哲学専攻で、人の生き死にの意味について考えるような学生だったので、昔から多少なり人死にについて敏感なのですが、いざ身内でその手の話が出てくると、単に概念として"人死に"を扱っていた時にはなかった生々しさがあり……あの時に学んだこと、考えたことの無力さと言ったらといいますか……いや僕が不勉強だっただけなんですけど……(苦笑)

 

とにもかくにも。

そんな状況下だからか、創作においても自然と人の生き死にについて今まで以上に敏感になっています。ただ、今までとは逆の方向で。

逆の方向。要は創作を通じて改めて、人の生き死にの意味といいますか、身近な人の死に直面した人は何を考え、どう振る舞うのか……そのあたりを改めて考え直したい、そんな思いが強くなっています。おそらく自分なりに馴致したいだけな気はしますが。

ただそれはつまり、作品を自己都合で利用しているのでは? という疑問もなくはありません。別に誰かに見せてお金をもらうわけではない、いわば自己都合を顧客に押し付けるみたいなことにはならないので、特に気にすることはないのかもしれませんが、なんだかモヤモヤするのも事実。

また、いくらこうした欲が止まらないからといって、そしてフィクションだからといって、故意的に殺すのは抵抗があるのか、作品のテーマも史実をベースに考えるようになりました。歴史上の物語を自分なりの視点で再構築する、そんなイメージですね。歴史上の人物はすでに亡くなっているので、多少なり罪悪感が薄れるからでしょうか……仮にそうだとして、その考え方もどうなんだと思いますが……。

そんなこんなで、久方ぶりの創作は作品自体よりそれ以外の面でいろいろモヤモヤしており、なかなか捗りません。11月くらいまでに完成できればなぁと思っていますが、この1ヵ月で進んだのは400文字くらいと、なかなか難しい感じになっております。

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。