swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

転職エントリー vol.01 / 近いうち死ぬかもしれないと本気で怖くなった話

まだ予定ですが、いろいろ考えた結果、1年半後に仕事を変えることにしました。社会人10年目、これが4回目の転職? でしょうか。なんたるジョブホッパー (苦笑)

今後の方向性はいちおう決めてあるのですが、予定は未定。1年半後の自分にとって、本当にその選択が合ってるのか、今の自分にはもちろん分かりません。

そこで、いま想定してる選択が本当に最善なのか改めて考えてみるために、今日から1年間・毎週日曜日、週1投稿で考えていこうと思います。要はただの日記ですね (笑)

全52回も書くことあるのか疑問ですが、こうでもしないとちゃんと考えない人間なので、とりあえず思うがまま書いていこうと思います。

 

と、書き出したところで、さてどこから振り返ったものかなと悩ましいのですが、とりあえず職を変えようと思ったきっかけから始めていきます。

ちなみに、本エントリーについては内容の都合上、"だ・である" の語尾で書きます (自身のことはそのほうが書きやすいので)

 

     *

 

転職を考えたきっかけは、ある出来事で「近いうちに死ぬかもしれない」と本気で恐怖したからだった。いい年して何を青臭いと思われるかもしれないが、個人的には無視できない驚きを伴った「事件」(まさに事件) であり、本気で人生を振り返り、そして見つめ直すきっかけとなった。

 

事の発端は、2017年の秋。ある夜。布団に入って数分後、いきなり猛烈な頭痛に襲われた。頭の内側から頭蓋をハンマーで叩かれている痛みとでも言えばいいのか。30を超えた大人が、夜明けまで右に左に体を転がして、必死に痛みを誤魔化そうとするくらいには辛かった。

そのまま朝5時を迎え、仕方なく仕事へ出発。まだ頭痛は残っており、真っ直ぐ歩くのにも苦労した。だが、オフィスへ到着した7時頃には幸い小康状態になり、始業時間にはすっかり落ち着いていた。だから正直な話、この頭痛は「一時的なものだろう」と完全に油断していた。

余談だが、当時勤めていた会社は医療系ベンチャー。脳神経外科や神経内科の医師に何度も話を聞き、頭痛の怖さについては知っていたはずだった。いくら知識を蓄えても、我が身に降りかからない限り自分事として危機感を持てないのは、昔からの悪い癖だ。

 

だが、その後も頭痛に襲われる日々が続いた。ほぼ毎日、時間を問わずに。しまいには、脳内でつるはしを持った小人が採掘でもするかのように自分の頭蓋を削り続ける夢まで見るに至った。何度も、何度も。この夢を見た朝の寝起きは文字どおり最悪で、夢の影響なのか、いつもより頭痛が酷かった。ベッドから出られない日もあった。まさに悪夢だった。

当然だが、仕事にも支障が出た。最初は平気な態度を取り繕い、周りに迷惑をかけまいと踏ん張っていたが、次第に限界が来た。耐えかねた痛みに表情が歪みそうになり、そのたびに席を立ってトイレに隠れたり、コンビニへ昼食を買いに出たりして、頭痛が落ち着くのを待った。

もちろん、そんな状況で仕事が満足に回るわけもない。12月には隠し切れなくなり、仕方なく午前休をもらってクリニックへ。社内のデータベースで探した頭痛の診療で評判のクリニックを受診した。

 

クリニックでMRI検査を受けた結果、小脳に水がたまっていることが分かった。その事実を告げられた時の衝撃は、今でも覚えている。おそらく人生で始めて絶句した瞬間だった。そんな自分を気遣ってかどうかは知らないが、先生は「先天的に脳に水がたまっている人もいる」「この水が悪さをしているとは限らない」など、ポジティブな話をしてくれた。だが「脳に水」の3文字のインパクトがあまりにも強すぎて、まったく気は休まらなかった。

 

その後、どういう経緯を辿ったか忘れたが、投薬で症状の経過を見ることになった。確か「いきなり手術するほどの症状ではない」という理由だったと思う。問診を踏まえると過労やストレスなどが原因の可能性もあり、それらを解消してみるのが先という話も聞いた気がする。だが、正直なところ、よく覚えていない。こうした大事な話がうろ覚えになるほど、当時はショックが大きくて何事にも虚ろだった。

その後、しばらく投薬で症状の改善に努めるが、事態は一向に改善しなかった。むしろ視界がいきなり霞んだり、それまで以上に真っ直ぐ歩けなくなったり、悪化の一途を辿りつつあった気がする。こうした不調が脳の重い病気の兆候だと知って、いっそう恐怖した。一刻も早く改善したいと思い、病気について調べれば調べるほど、恐ろしい結末を煽られる情報しか出てこなくて、むしろストレスだった。

上司に相談して仕事量や勤務時間を調整してもらうなど、会社の協力のもと過労やストレスといった要因にも対処してみたが、効果はなかった。もっとも、過労もストレスも元々そこまで酷くなかったので、結果は対策前から推して知るべしだったかもしれない。ただでさえ人手が足りなかったのに、出来る限りの協力を惜しまず対応してくれた当時の会社には、本当に感謝しかない。

 

だからこそ、最終的にドクターストップがかかって退職が決定したときは、申し訳なさしかなかった。年を越えて少し経ったときのことだ。症状が悪化して、いよいよ家から出ることにも苦労する事態になり、もしできるなら治療に専念したほうがよいと医者から休職を勧められた。ドクターストップだ。

だが、当時のベンチャーはただでさえ人が足りず、1人の欠員が事業部に与える影響は大きかった。そんな中、いつ戻ってくるかもわからない社員の復帰まで、他の社員に負担を強いるという選択は、自分には取れなかった。

上司はいつまでも待つと言ってくれた。その誘いは涙が出るほど嬉しかったが、それに甘える自分を許す気持ちには到底なれなかった。ただでさえジョブホッパーなのに、この会社を入社から1年と少しで退職したらもう先はないのでは・・・そんな不安に潰されかける日もあったが、通すべきは自己都合より会社への仁義。医師の診断書と退職届を提出する決意を固めた。

 

退職から数ヵ月後、頭痛が少し落ち着いたとき、上司と部署の先輩たちが遅ればせながらの歓送会を開いてくれた。その時には、すでに自分の後任の方が入社しており、その場にも参加されていた。だが、当時の上司は「いつでも戻ってきていいよ」と言ってくれ、それが本当に嬉しくて、店内にもかかわらず涙が止まらなかった。

その後、なぜか頭痛は少しずつ落ち着き始めた。眠れないほど悩まされることもなく、順調な経過を辿り、2019年11月には医師から「ほぼ完治」と太鼓判をもらえた。ストレスがかかったり、疲労がたまったり、気候が急変したりすると時おり発症するが、その程度も小さい。悪夢も見なくなった。ようやっと頭痛に苛まれる前の平穏な生活に戻れつつある。

 

だが、この頭痛を経験して、ひとつ大きく変わったことがある。人間いつ死ぬかわからないと本気で考えるようになったことだ。

脳は、人間にとって心臓と並ぶ最も重要な部位だ。脳が終わるか、心臓が終わると、人間は死ぬ。今回、その脳に重度の、そして原因不明の症状が襲いかかり、本当に恐怖した。近いうちに死ぬのではないか・・・本当に何度も怯えた。

だからこそ、人生は一度しかないのだと改めて痛感した。以前、ライトノベル作家をめざしてニートになったときもそう思ったが、あのときは青臭く夢を追う自分を勇気づけるための方便に過ぎなかった気がする。対して今回は、心の底から「人生は一度しかないのだ」と思い知らされた感じだった。だからこそ、本当に今の仕事を続けていていいのか、プライベートはこのままでいいのか、自分にとって最も時間を費やしたいことは何なのか、改めて向き合おうと思った。

 

すでに30代半ば。もはや未経験の仕事へは鞍替えするのも困難な時期だ。仮に全く新しい仕事へ挑戦する場合、おそらくこれが最後のチャンスになるだろうと感じる。ただでさえジョブホッパーなのだから。そんな苦境に陥ったのは、自分が今まで人生についてしっかり考えてこなかったツケが来ている、つまり自業自得に過ぎない。しかしだからこそ、これからの1年間で、この先の人生を本気で考え直していこうと思う。