swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

モチベで仕事の成果が左右される部下に納得いかない上司の話

近況
  • 6末で今の会社を離れることにしました。月間1億PVクラスのWebメディアを自由に(文字どおり自由に)運営できるのは楽しかったですが、さすがに残業200時間生活は勘弁。というわけで絶賛引き継ぎ中です。
  • 退職後のことはすでにいろいろ決まっていますが、いろいろ事情があって書けないので、そのあたりはゴニョゴニョということで。
  • というわけで、ようやく小説の執筆を再開しました。実に2年半ぶり……。とりあえずプロットをほぼ忘れているので(苦笑)、まずは思い出す作業からです。

 

     *

 

というわけで、お久しぶりです。ちゃんとブログを書くのはいつ以来やら。

ここ最近は仕事でもプライベートでも、何かを書くという作業をまったくと言っていいほどやっていないので、とりあえずリハビリがてら日記みたいな感じでリスタートしようと思います。

そんなこんなで、復帰1発目の軽めの話題として、知人から聞いた話。

 

大きな大きな某社の営業として働くAさん(知人の知人)には、なかなか気難しい上司がおりました。Aさんは外へ営業に、上司はAさんたち部下に激という名の罵詈雑言を飛ばしというのが日常らしく、この時点でよくAさんも辞めないなと思わずにはいられませんが、そのへんは置いておきます。

で。

ある時、Aさんの仕事が芳しくなく、上司からお叱り(という名の以下略)を受けたそうなのですが、そのときに話の流れでタイトルめいたことを指摘されたとのこと。詳細に書くと色々モロバレするので、そこはゴニョゴニョ。

上司の考え方としては、だいたい以下みたいな感じです。

  1. お客さんは自分たちが一定(以上)の利益を提供するのを期待してお金を払ってくれている
  2. その期待に届かない仕事は、お客さんに無駄な出費をさせていることになる
  3. 期待に届かない仕事をした原因が、不可抗力なら仕方がない
  4. だが、その原因がやる気の低下というのは許されない、やる気がなくても約束した一定(以上)の利益は返さなければならない
  5. 上司いわく、お前が好きなスポーツチームが負けた時、試合後のインタビューで選手が「すみません、今日はやる気が出なくて……」と言ったらキレるだろ、それと同じだ、とのこと

この内容が返ってきたということは、Aさんは少なからず上司に「やる気がなくて成果を出せませんでした」的なことを言ったんだろうと思うのですが、なんでそんなストレートに言ってしまったのかと思わずにはいられません。が、それもいったん置いておいて。

 

さて。この上司さんの理屈、皆さんはどう感じるでしょう。

ワタクシ、かれこれ30年くらいライオンズファンなのですが、ライオンズの選手が負けた試合後のインタビューで「今日やる気なくて……」と言っていても、普通に許せます。我が永遠のヒーロー・松井稼頭央さんだったら、もうどんな理由でも許す自信あります。4打席連続で三球三振の後に「おなか空いちゃって……」「寝不足で……」とか言っても「そんなときもありますよね!」と満面の笑顔で許せます。今シーズン、仮に最下位に沈んだとしても、無問題です(いまけっこう調子いいので嬉しい限りです。がんばれライオンズ!)

 

……ワタクシのライオンズ愛も置いておきまして。

お客さんの立場になった時、仕事の質が悪かったビジネスパートナーが「すみません、今月やる気なくて……」と言ってきたら、確かに「おいおい……」と思いますが、誰しも実際そんな時も普通にあって、お互い口にしないから知らぬが仏で済んでいるだけでもありまして。人間、日々やる気に満ち満ちている人なんて、そうそういないですし、そもそも筆者みたいに仕事が大キライで、やる気も愛社精神も常にゼロみたいな人間もいますし。

そんな自分からしますと、「人間いろいろですから、このあたりの価値観を部下にも求めるのは勘弁してくだせぇ」と泣き言の一つも言いたいのですが、さて今の世の中でそれは通るのでしょうか。昨今、いわゆるダイバーシティ的な意味合いの多様性は広まりつつありますが、仕事に対するモチベなど必然性のない多様性に対しては、果たしてどれだけの会社は寛容なのでしょう。

 

話をちょっとずらしますが、そして手前味噌な話なのですが、筆者はそんなやる気ゼロ社員の筆頭ですが、今までの会社でそこそこ成果を出してきた自負はあります。で、人材系の会社にいたある時、同僚から「なんでやる気ないのに、そんなに成果を出すほど働けるの?」と聞かれたことがありました。

いろいろ理由はあるのですが、いちばん大きいのは、会社との雇用契約、より具体的には給与の捉え方かなという気がします。筆者は「課された目標(以上)の達成に対して約束されたのが給与である」という考え方を持っています。だから、所定の給与をもらうためには、課せられた目標は必達であるべきと思っています。もちろん単に数字を達成するのではなく、仕事の質を保った上で。

この考え方は、思えば先の上司の価値観をマイルドにしたものなのだろうなぁという気がしなくもありません。だからか、この上司の言うことも、正直わからなくもありません。罵詈雑言を吐くとか、それを他人にも求めるというのは、欠片も理解できませんが(そんなことしていいはずがないので)

 

個人的には、仕事に対してモチベがゼロの人もいるのは、所与の条件として捉えるべきなのかなぁと思います。働きたくないでござるは、もはや当たり前のことと。自己擁護が過分に含まれていますが(苦笑)

ただ、もちろんそういう社員ばかりだと、事業や会社の成長はなかなか望めません。結果的に採用やDXの重要性が今まで以上に高まり、そうした点にどれだけ理解があるか、投資できるかといった点が企業競争力の源泉として力を発揮していく気もします。

ちなみに、筆者の今の会社は仕事に対して後ろ向きな人がとても多いので(ほぼ全員そうといっても過言ではないレベル)、そこを仕組みで解決しています。誰を採用しようと、その仕組みが回れば問題なく儲かる、というわけですね(実際はそう簡単な話ではないですが)。言い換えれば、会社(正確には各現場の責任者)は社員に対して、歯車以上の働きを期待していないともいえます(実際そんな感じの言動を随所で目にしてきました)。採用メッセージや人事研修では「成長」や「社会貢献」といったポジティブなワードが大量に並びますが。

 

そんな会社で働いていますと、ウチみたいな採用力がない会社は今後、こうした社員の歯車化を推し進めるしか道がないのかなぁと、思ったり思わなかったりします(まもなく退職しますが)。ただ、その果てに会社の健全な成長があるとは個人的には思えないので(数字のために職業倫理的に際どいことやりはじめそう)、採用を強化するのが良策な印象です。マネジメントを磨いてもいいんでしょうが、マネジメントでうまいこと動機づけできるとは、個人的にはあんまり思わないですかねぇ…。

ただ、その仕組みを作る・改善する側ではなく歯車側になってしまうと、ほとんど得るものがないので、その後の仕事人生にとって大きな損失となるのは言わずもがな。そのあたりを社員の自己研鑽や意識改革に委ねる(=悪い言い方をすれば、会社は社員に任せて何もしない)のか、会社が積極的に何か手を打っていくのか、そのあたりも難しそう。少なくとも歯車側でいいと思う社員は、後者の動きを歓迎しないでしょうし。

 

特に結論はないですが、なんかそんなことを思いましたとさ、ということで。

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。