swatanabe’s diary

ラノベ作家をめざしてた元ニートの備忘録です。基本ラノベと創作、ゲームの話しかしません。好きなようにしか書きません。

知人がリモートワークで心を病んだ理由に思う対面コミュニケーションの大切さ

ちょっとらしくない話でも。

 

少し前、東京オリンピックまで1年となったとき、テレビやラジオがリモートワークで混雑を緩和しよう的な話を喧伝していましたね。

ただ、リモートワークってそんな簡単じゃないんですよね。社外に持ち出せる仕事(というか情報)を切り分けたり、社員どうしの時間を調整したり、下準備が大変。多くの企業が逡巡するのも宜なるかなといった感じです。

 

で。

筆者の知人にはフルリモートなビジネスパーソンがけっこういるのですが、そのうちの一人が少し前から精神的にやられ、1ヵ月ほど休職したと聞きました。ちなみに傷病休暇は人生で初だったそうです。

初めての休職が1ヵ月というのは余程のことでしょう。一般的に最初の休職は、せいぜい2週間だと聞きます。筆者も1度だけ不安障害で休職しましたが、そのときは2週間でした。

だからというわけではないのですが少し気になりまして、ちょうど仕事も多少落ち着いたので一緒にランチに行ったのですが、その心を病んだ理由に思うところがちらほら。

 

彼は普段、社員とコミュニケーションを取るとき、slackとtrelloを使っているそうです(関係ないですけど、trelloすごく便利ですよね)。やりとりは基本、文面だけで、オンラインミーティングなどもほとんどないんだとか(1ヵ月に1回くらいだったかと)

そうなると、コミュニケーションの大半は文面になるわけですが、彼の周りの社員さんたちは、顔を合わせて話すぶんには表情豊かで付き合いやすいのですが、文面だと途端に無愛想になるらしいです。絵文字も顔文字も!も^^もない。ただ淡々と「ありがとうございます」「わかりました」「これどうなってますか?」「これ終わりました?」「それで結構です」「いえ。こうしてください」などなど、いっさい感情のないようなやりとりが交わされるんだとか。

 

で。これが何ヶ月も続くうちに、彼は心をやってしまったらしいです。「これ終わりました?」といわれれば怒られてるような気がして、「それで結構です」といわれれば投げやりな態度を取られている気がして、次第に「なんか悪いことしたのかな?」「嫌がられるようなこと、したかな・・・」と被害妄想が誇大妄想化。そのサイクルが止まらず、ついには心に傷を負ってしまったそうな。

 

この話、おそらく多くの人は「その程度で」「メンタル弱すぎ」と思われるのではないでしょうか。

ただ、個人的には何となく分からなくもないといいますか。

確かに文面だと表情も口調もわかりませんから、同じ「わかりました」のひとことでも、対面と違って相手の感情が見えないんですよね。「わかりました!」「わかりました^^」「わかりました◎」「わかりました絵文字」だと、笑顔で応じてくれてる感が出るので別に心にこないんでしょうが。

 

ちょっと話がずれますが、少し前にchatworkでリアクション用の顔アイコンが登場しましたね。

 

blog-ja.chatwork.com

 

以下の別記事に導入理由があるんですが、

 

blog-ja.chatwork.com

「リアクション」機能は絵文字を活用した機能ですが、ユーザー調査で「絵文字を使いたいけど、社内の空気を気にして使えない」という声や「絵文字を積極的に使っていたが、部下への押しつけになっていないか心配で、使う頻度を減らした」という声がありました。

そこで、より多くのユーザーに「リアクション」機能を知ってもらうと同時に「絵文字を使ってみようかな?」と思ってもらえるよう、「世界絵文字デー」と「リアクション」機能のリリースを同日にすることにしました。

 

「絵文字を使いたい」って思う人が多いのは、そのほうがコミュニケーションが取りやすい時代(というか、そういう人が多数派)だからなんだと思うのですけど、彼の話を聞くと、人によっては「取りやすい」から「取れない」になりつつあるのかなといった印象を覚えます。

 

筆者も今は家の隣駅のコワーキングにこもる生活で、仕事の人たちと顔を合わせることは基本ありません。せいぜいzoomで各人と毎週30〜60分、ミーティングするくらいでしょうか(半分以上、無駄話ですけど。苦笑)

思えば、筆者が仕事で絡む人たちのslackやchatwork、trelloのコメントを見てますと、みんなかなり無愛想です。「この点どうなってますか?」→「そもそもそんな話してないので、気にしないで大丈夫です」とか平気で返されます(これはさすがに「その書き方どうなんだ?」と思いますが。苦笑)

 

で、ときに知人の彼のように、こうした相手の文面ひとつで心にチクリと来るものも正直あります。が、べつだんそこまでダメージを感じないのは、ふだんzoomで無駄話してるときの相手を知ってるからなのかなと(ちなみにお互い「恥ずかしい」を理由に、だいたいビデオはOFFです。笑)

たとえば、上の「そもそも〜」を書いてきた人は大の野球好きなのですが、毎週だいたいミーティングとは名ばかりの野球談義で終わります。その人、そこでまぁとにかく楽しそうに愚痴るといいますか、そんな普段の顔を知ってるからこそ、べつにそこまで心に来るものないのかなと、思ったり思わなかったり(ちなみに筆者はそこまで野球に明るくないですが、30年ライオンズの試合結果を追い続けるくらいには好きです)

 

そう思うと、やっぱり対面のコミュニケーション、そこまでいかなくても表情が分かる何らかの手段(電話、オンライン会議など)で、お互いの感情(言葉ではなく)を共有できるスタイルで定期的にコミュニケーションを取るって大事なんかなと思ったり思わなかったり。もっとも、それが飲みニケーションとかだと若い世代には嫌がられるんでしょうけど。

あと話す内容も、たぶん大事なんでしょうね。共通の趣味とまではいかなくても、共通の話題(テレビドラマとかニュースとかなんでもいいと思いますけど)で「互いに多少なり盛り上がれる」ってことが大事なのかなと。関係ないですけど、昔の会社にめちゃくちゃ多趣味な上司がいて、その人めちゃくちゃ無愛想だったんですけど(文面だけでなく態度も)、社内で大人気でしたね。

仕事では、積極的に周りとコミュニケーションを取ることが是とされていますが、こうした背景があると仮定すると、なるほど確かにと思わなくもありません(筆者はやりませんが。笑)。ふだんの何気ない会話の積み重ねが、心なく見える言葉の緩衝材になってくれるのかなと。

 

余談ですが、言葉の扱いや受け取り方に敏感な創作界隈の人たちなんかは、このあたりでけっこう苦しんでる人、意外と多そうな印象です(勝手な想像ですが)

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。