かなり前、たまたま某ソシャゲ会社の人事の方とお会いする機会があり、興味本位で標題の質問をしてみました。ライターに求める採用要件、たった1つ挙げるとしたらなんですか? と(ヒューマンスキルを除く、という条件つき)
返ってきた答えは「あえて言うなら・・・歴史が好きなこと?」でした。
ちょっと意外な気がして、それが顔に出ていたのか「意外ですか?」と聞かれました。
「はい。ソシャゲやりこんでるとか、御社の場合だと、●●(あるジャンル)に詳しいとかかなぁと思ってたので」
普通そう思いません?
「それも確かに大事です。でも、あるジャンルだけに特化した人材って、突き抜けて面白いか、発想が枯れやすいかのどちらかになりやすいので。だから "この人、頭おかしいんじゃないか?" ってくらい特化してないと、採用上はちょっと勇気いりますね」
家庭用ゲームでいえば、ガチ勢(あるいはそれに準ずる)くらいやりこむ人なら特化型でも良いけど、ちょっとやりこむくらいの人は採用上「うーん」だそうな。
で。本題。
じゃあ、なぜ歴史が最重要要件なのか?
理由はいたって単純でした。
「物語だからです」
詳細を端的にまとめると、こんな感じ。
- 歴史はそれ自体に物語(ストーリー)がある。歴史が好きな人・歴史に詳しい人は、物語がどういうものかを直感的に理解できる。
- 直感とは? たとえば「人はこういう場面で、こうは振る舞わない」とか「こういう展開は違和感がある」とか、そういう感覚。物語の展開上、マイナスとなる要素を弾く感覚。物語の精度を上げる=読者に違和感を抱かせないための力。
- 直感とは? たとえば、アイデアの蓋の開きやすさ。歴史が好きな人・関心が強い人は、ストーリー展開も上手い可能性が高い。
- ただし「事実」としての歴史を知っていることには、あまり価値はない(それも大事だけど)。それだと「ストーリーネタの引き出しが多い」だけ。大事なのは「物語」としての歴史に関心があるか。歴史の中で生まれた人々の悲喜交交さまざまなストーリーに興味があるか。ここに対する感受性が豊かでないとアイデアが湧かない。
- だから、三国志ものとか戦国ものとか、いわゆる「歴史ジャンル」のゲームを作る作らないに関係なく、どんなジャンルのゲームに携わる上でも、歴史に対する理解や興味は持っていてほしい(と少なくともこの人は思っている)
1と5は結論なので、理由である2〜4について簡単にまとめてみましょう。
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2について。
「ドラえもんでハレー彗星がやってきた話、あるじゃないですか」
「酸素がなくなるのを自転車のチューブで乗り切ろうとした、あれですか?」
「そうそう。それです」
急にドラえもんの話をされて戸惑ったのは、言うまでもありません(後で聞いたら、ドラえもん大好きらしいです)
「たとえば、あの世界観だったら "彗星の如く現れた" ってフレーズは、使えるわけですよね。彗星が存在するので」
「そうですね」
正確には、彗星が存在してもそのフレーズが存在しない可能性があるので、なんともいえないのですが、いったん置いておきます(このあたりが慣用表現を使うときの難しいところですね)
「でも "彗星" って概念が存在しない世界観の中で、このフレーズは使えないわけです。たとえ地の文であっても」
「"彗星"を知らない以上、使えませんよね」
「はい。で、これと同じことはフィクション全般に言えます。仮に現実のどの時代に属さないファンタジーでも "何でもあり" は通用しません。人はその作品世界を自分なりの世界観に置き直します。"この作品、中世っぽい" と感じたら、意識的・無意識的にかかわらず "中世" のような世界として認識する」
「ええ」
「だから、中世にあると違和感を覚える物や概念が登場すると『ん?』と詰まってしまう可能性があります」
このあたりは概念の時代性も考えたほうが良いのかもしれませんね。
たとえば筆者の場合、剣と魔法のファンタジー世界に「会社」という概念が登場すると、少し「ん?」と感じるときがあります。これが「商会」とか「組織」なら、特に違和感を覚えないのですが(もちろんケースバイケースです)
実際、会社(company)という概念自体は大昔からあるものですが、筆者は30数年しか生きていないので、会社と言われると、どうしても「オフィスビルに入っている」「みんなで並んでPCで仕事する」的なイメージが先立ちます。だからファンタジー世界に登場すると、登場すること自体おかしなことでないと "頭では" わかってはいても、なかなか違和感が拭えません。
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3について。
「歴史を幅広く知っている方って、それだけストーリーの引き出しが多いって、私は考えてるんです。歴史自体がストーリーなんで」
「ゲームやアニメに大量にふれている人はどうですか?」
「それも大事ですけど、ゲームやアニメ "だけ" にふれている人だと、リアリティに欠ける展開が増えるリスクもあると思っていて。メタな面白さに走りやすいとか」
「あぁ。なんとなく分かります」
筆者も以前、ラノベの某新人賞で「あまりにも "ラノベ" に特化し過ぎています」「メタな面白さだけ追求すると、筆力も感性も衰えるので気をつけましょう まる」と指摘されたことがあり、以降は地力をしっかり磨くよう意識してきました。
この人事さん的には、アニメやゲームに重心が偏っていると「アニメ的」「ゲーム的」な演出が増えがちになる印象だそうです。たとえば、王道とかお約束とか。
それももちろん大事と前置きした上で、でもやっぱりこういうテンプレ的またはメタ的な面白さだけでは、作品世界がマンネリ化するのがネックなのだとか。長く続けて人を増やさないとビジネスとして成り立たないソシャゲにおいて、それは困るそう(業界的にそうというわけではなく、あくまでこの方がそうといった感じらしいです)
ちなみにご本人的には「ものにもよりますが、テンプレやメタはプレイヤーの中で作品の世界観が壊れてしまうリスクが高いので(特にメタ)、できればあまり使ってほしくないです」とおっしゃっていました。なんか意外でした。
「 "事実は小説より奇なり" とはよく言ったもので、歴史って本当にいろんな展開を見せてくれるわけです」
「確かに、むしろフィクションよりフィクションっぽいところありますよね」
「はい。まぁ、ふれるのは歴史じゃなくてもいいんですけどね。神話でも伝記でも昔話でも。要は、いろんなジャンルにふれていれば。ただ、なにかひとつって言われたら、最もネタが豊富な歴史かなってだけで。あるいは神話かな」
余談ですが、歴史や神話のアイデア性って、現代のゲームやアニメとはまた違った味がありますよね。ありません?
お互いたまたまギリシア神話が好きだったので、そこからひとつ例を出しますと、アキレウスがアキレス腱だけ弱点だったのは、母テティスが彼をステュクス川に入れて不死にしようとした時、アキレス腱の部分だけ握っていたためですね。
こういう発想って、似たようなケースが頭にないと、なかなか出ない気がします。初めて読んだとき「だからか!」と驚いたものです。思えば、筆者もラノベを書くときのアイデアは、哲学科時代に大量の西洋古典にふれた影響が強く出ている気がします(『アエネーアース』とか大好きでした。ギリシアじゃないですけど。苦笑)
しかし、いま思うとホント凄い入れ方ですよね。『図解雑学』シリーズでこのシーンの絵面を見たとき「親としてどうなんだ・・・」って思いました。苦笑。
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4について。
「ただ、歴史を知っているといっても、単に事実としての歴史に詳しいかどうかは重要じゃないと思ってます」
「大学受験みたいな歴史の勉強は不要ってことですか?」
「ですね。むしろ広く浅く知っているより、狭く深く知っているほうが大事です」
「それはなぜ?」
「人の顔が見えないからです」
2が「時代における事実性」の話だとすれば、4は「時代における人間性」の話とでもいった感じでしょうか。
その時代において、人はどんな考え方をしたのか? ある出来事に直面したとき、人はなにを考え、どう動くのか?
物語において重要なこういう引き出しは、歴史的な出来事ひとつひとつの中身を知らなければ増えない、そう考えているそうです。
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ちなみに帰宅後、ソシャゲの有名所さんの求人の要件を眺めてみたのですが、歴史が好きなこと的な条件を設けていた会社は、いくつかありました。もっとも、そのジャンルのゲームを作っているからといった感じでしたが。
なお、筆者が話を伺ったのは、それらの会社の人事さんではありません。
とりあえず、そんなところです。
眠いので、寝ます。