swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

プロットに正解があっては (求めては) いけない

バタバタしていた仕事と2年ぶりの公募原稿が落ち着いたので、ちょこちょこブログを再開しようと思います。

で。けっこう前にtwitterのDMでご質問をいただいたので、今日はプロットについて思うところをつらつらと。

 

 

プロットとは

wikipedia先生が説明してくれているので、詳細はそちらに譲ります。要は作品の要約です。

このように、「だから」で出来事のつながるものがプロットであり、ただ単に「それから」でつながるものがストーリーである

wikipedia「プロット(物語)」より)

 

プロ作家さんのプロットの捉え方

プロットに対する温度感はプロの作家さんでもだいぶ違います。ここでは日本推理作家協会『ミステリーの書き方』から引用してみます。

なお本書は、作家さんごとに「悪役について」「比喩について」など与えられたテーマがあり、皆さんそれについて語る中でプロットにふれています。この点はご留意ください(要は汎用的なプロットの話ではない、ということ)

 

ミステリーの書き方 (幻冬舎文庫)

ミステリーの書き方 (幻冬舎文庫)

 

 

船戸与一さんの場合

1.

わたしがじかに逢った人物をデフォルメして小説の舞台に載せているうちに、やがてそのキャラクターがじぶんをこうしてくれという声が聞こえて来るのだ。それをそうしてやるだけに過ぎない。ただ一度だけきしりとプロットを決めて書きはじめたことがある。

(日本推理作家協会『ミステリーの書き方』より。以下同)

2.

むかしから旅好きだったので、異域をぶらつけばかならず新しい物がたりが想い浮かぶと勝手に決め込んでいる。

 

宮部みゆきさんの場合

1.

そういう要素を織り込みたいなと。でも、具体的にどうやって組み立てていったかっていうとーやっぱりぶっつけ本番で書いていったとしか言えないんですよね。(中略)。最近のものでも、どうやって組み立てたかと聞かれると、答えられないもののほうが圧倒的に多くて。「たぶんこうじゃないですかね」って話しかできない。原則的にプロットを作らないですから。書きながらメモしていくってことはありますけど。

2.

わたし、プロットをつくらないタイプではないと思うんです。かなり作っているはずなんですよね。でもそれを言語化しない、書かない。書くと逃げていくような気がするんです。

 

乙一さんの場合

1.

このプロットのスタイルは、ハリウッド映画が作られる際のシナリオ執筆方法を参考にしている。

2.

シド・フィールドが理論化した「三幕構成」というやり方をモデルにしている。(中略)。さらに勉強したい方は、ウィキペディアなどで「三幕構成」を検索してみるといい。

 

ja.wikipedia.org

 

二階堂黎人さんの場合

1.

必然的に、執筆のためには、当初から、構想に基づくしっかりした設計図が必要となります。その設計図が緻密であればあるほど、《本格》の度合いが増すでしょう。

 

ja.wikipedia.org

 

伊坂幸太郎さんの場合

1.

僕は、最初にあまり緻密なプロットは立てられないんです。書きたい場面や書きたいモノがあるだけで、映画でいえば、予告編のようなイメージしか持っていません。書きたい場面や「絵」があって、それらをつないでいくパターンが多いですね。

 

逢坂剛さんの場合

1.

その逆転、またはどんでん返しのために必要なミスディレクションを効果的に生み出すために、若いころは、ストーリーの構成、大雑把な進行表みたいなものを作っていた。(中略)。それを見ながら自分の小説を積み上げていくわけです。

2.

プロットを論理的に立てようとしても、なかなか立てられるものではない。それは、鍛えて手に入れていくしかない。やはり、いかに子供のころたくさん本を読んだかが大きいと思うけれども、作家を志すなら、いまからでも遅くはない。

 

ja.wikipedia.org

 

貴志祐介さんの場合

1.

ストーリーの進行は、偶然と必然を適度にブレンドして行わなければならない。すべてをピタゴラ装置のような必然に設定すると、プロットの構築が死ぬほど大変になる上、かえってリアリティがなくなり、踏んだり蹴ったりである。

 

神崎京介さんの場合

1.

性的な交わりのシーンが多い小説を書くとき、最も重要なのは技巧でもプロットでもありません。心構えです。女性をどう捉えるか、女という性をどう捉えるかを常に自問しながら書くべきです。官能表現を性の道具としたり、官能的な小説を自分の欲望のはけ口とするような発想をすべきではないのです。

 2.

私の短編は最低でも原稿用紙にして40枚からです。構成としては「序破急」の三段構成ではなく、「起承転結」の四部構成で考えます。(中略)。長編は好きに書けばいいんです。構成は考えません。

小説全体の中で性愛シーンの配置や分量は、基本的には考えていません。ただ、短編の場合は、できるだけ冒頭に性愛シーンを置き、なおかつできるだけ濃厚な描写にしようと気をつけています。

 

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

個人的に特に面白かったのは、乙一さん、朱川湊人さん、北村薫さん、北方謙三さん、楡周平さん、貴志祐介さん。いずれの方も、具体的な例を交えながら創作を科学的に説明されています。筆者はロジックで小説を書くタイプなので、とても興味深かったです。

他の作家さんのお話もどれも面白いので、気になった方はぜひ読んでみてください(ただ、めちゃくちゃ長い本なので、好きな作家さんだけ読むのがいいと思います)

 

プロットは、創作から "やりにくさ" を排除する手段

ここまでご覧いただくとお分かりのように、プロットが必要か否かには正解がありません。皆さん大なり小なり作品のベースとなるものを用意しているようですが、その内容も形も違います。

つまり、プロットの必要性や具体的な内容は、自分で定義しなければならないということですね。正解はないし、それを外に求めてもいけない。

 

では、どう定義するのがベターなのか。

個人的には「やりにくさを排除する」形が良いと思っています。

 

プロットとは、創作の手段です。

では、なんのための手段? 面白い作品を作るための手段? ノーです。ただの手段に過ぎませんから、プロット自体は結果のクオリティに影響を与えません。それは使い方しだいです。

 

プロットとは、自分の創作活動を、面白い作品を作れるように、やりやすくする手段です。

では「やりやすさ」とは? 実際に執筆するときの書きやすさです。

では「書きやすさ」とは? これは色々でしょう。筆の速さ、ストーリーの整合性の取りやすさ、キャラクターの振る舞いの安定性などなど。

 

言い換えれば、プロットの型式(自分のプロットがどうあるべきか)を定めるには、まず自身の創作において「やりにくい」点を洗い出す必要があります。そこをプロットで事前に整理して、やりにくさを解消するわけです。

 

自身の例で恐縮ですが、筆者は三幕構成や序破急などは考えていません。正確には、それらを考えて作品を作れません。前から順々に入れたい話を入れていきます。

また事前にしっかり準備して、ストーリーが矛盾するのでは的な不安を潰しておかないと書けないタイプなので、とにかく細かく書きます。作品から風景描写や心理描写を除けば、おそらくプロットに戻るんじゃないかと思えるくらい書きます。

結果、こうなります(↓)

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上は直近の作品のプロット(一部)です。ストーリーの構成要素を、とにかく箇条書きにしているだけです。どこが起で、どこが承で、どこが転で、などは考えていません(考えられません)

 

また年表や地図もあったほうが個人的に作りやすいので、必要に応じてこのあたりも準備します。

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こちら以前の作品で書いた地図。建物や国家の配置はもちろん、車での移動時間、船での移動時間、馬車や徒歩での移動時間なども書き込んでおきます。ちなみに、こうしたデータは、それらの手段に関する歴史書などを読むと、だいたい書いてあります。

 

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年表の例はこちら。以前に書いた作品のものです。

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小説を書き始めたばかりの頃、成田良悟さんの作品に強い影響を受けたためか、今でも章立てを日付ベースで行う癖があります。そのため年表や日表(と呼ぶのか分かりませんが)がないと、作品が書けません。

 

とにもかくにも。

プロットとは、自分の創作スタイルに合わせて、執筆作業を少しでもやりやすくするために用意されるものだと思います(地図や年表はプロットというより資料ですが)

 

駆け出しの頃は、プロットはそこまで必要じゃない

先述のとおり、プロットには正解がありません。それは自分なりに見つけなければいけないものです。

では、どうやって見つけるのか? これも先述ですが、プロットの性質上、実際に創作するしかありません。

言い換えれば、プロットの型が決まりきっていない駆け出しの頃は、とにかく書くことが大事だと思います。誰かのプロットを参考にするのもいいですが、まず自分なりのやり方で書いてみる。方法は何でもいいので、とにかく書く。

 

筆者の場合、小説を書き始めたばかりの頃は、自分なりの方法でプロットを作っていましたが、必ず「見切り発車する勇気」を持つようにしていました。たとえ途中でストーリーが矛盾しても構わない、とにかく書いてみようと。

なぜか? 実際に書いてみないと、"自分にとっての" 創作という活動がどんなものか分からないからです。それが分からないと、そもそもプロットがどうあるべきかも分かりません。なぜか? プロットとは創作の下準備だからです。仕事でも何でもそうですが、ある作業をフォーマット化するには、作業そのものを理解していなければいけません。

 

また、小説を書き始めたばかりの頃は、書き切る癖をつけるほうが重要だと思っています。むしろプロットって作らなくても良いのでは? もっといえば邪魔なのでは? と。

特に完璧主義な書き手さんは、プロットを完璧にしようとして、いつまでも「書く」というところまでいかないのではないかと思います。実際、筆者の知人に何人かそういう人がいました。

 

「プロットに沿うとオリジナリティが失われる」わけがない

前にあるSNSで自身の創作スタイルを晒し合うという遊びに参加したことがあります。人によって本当に色々で面白かったです。

この時、一人の方から興味深いご意見を頂きました。曰く「プロットでガチガチに固めた作品は、オリジナリティが失われるのでは?」と。

結論、それはあり得ません。プロットは手段に過ぎないからです。

では、なぜこうした発想が出てくるのでしょう?

 

おそらく、三幕構成や序破急といった定番の型が存在するからだと思います。また、その手のハウツー本が多いのも一因かなと。たとえば、amazonで「プロット 書き方」で検索すると、57件の商品がヒットします(商品ラインナップは精査していませんが)

ただ、仮にAさんとBさんが同じプロットを使ったところで、同じ作品ができあがるわけがありません。同じ調理器具、同じ材料を使ったところで、誰もが同じ料理を作るわけがないのと同じです(似た料理はできるかもしれませんが)

 

     *

 

長くなってきたので、このへんで。書いてて「アマチュアがなに偉そうにほざいてんだ」って思いますけど、創作のことを分かっていないアマチュアだからこそ頭を使わなければならないということで、そのへんはご容赦をば。

 

とりあえずそんなところです。

眠いので、寝ます。