- いとうせいこうさんの『難解な絵本』読みました。面白すぎました。特にお気に入りの話は、子供の演劇人 (劇題「劇的空間の拡張 ―スキャンで見やがれ」「ぼく丸裸」「ザ出産」という脱帽のネーミングセンス) と、子供のボケ老人 (わしが生まれてかれこれ70日になるかの、って導入でもう無理)。笑いが止まりませんでした。
- 次作のネタがまったく固まらないので、ヒントを得ようと『円環少女』を買いました。長谷敏司さんの処女作。面白いです。
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次のような文章を見ました。
「クライアントとのやりとりで気をつけるべきことは、以下のような点です」
一見すると、どこも変ではないですよね。普通に読める文章です。筆者は「少し読みにくい」と感じるので書かないようにしていますが (理由は後述)、委託したライターが書いてきても特に修正はしません。普通に読めるから。
でも、知り合いのライター何人かに尋ねると「こういう動詞の名詞化、冗長だからイヤ」という人がけっこういて、ちょっと衝撃でした。
いやまぁ文章を仕事にする人間として、これを「少し読みにくいけど、まぁ読めるしいいか」で受け流す筆者みたいな人間が甘すぎるんでしょうけど、それでも「イヤ」と明確な嫌悪を示す人がけっこういた事実に、わりと驚いたのです。
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「動詞の名詞化」とは、動詞に「こと」などをつけて名詞化することです。
- クライアントとのやりとりで気をつけるべきことは、以下のような点です。
- フルマラソンでは、42キロもの長距離を走ることになります。
こんなやつですね。
で。こうした動詞の名詞化は、不要なケースが多いんですよね。
たとえば、1の場合、「気をつける」という動詞を、いったん「気をつけること」と名詞化してますが、それによって、受ける後ろの文章も名詞形となりやすいです。上記の例の場合「〜ことは、〜のような点」となっていますね。
このとき「こと」と「点」は実質、同義です。つまり同じことを2度、書いてる=無駄があるんですよね。これが筆者の周りの「イヤ」派がイヤな点でした (あとそれによって文章が冗長になる、というのも理由のひとつでした)
この感覚、分からなくもありません。筆者も先に1の文を「少し読みにくい」と書きました。「頭痛が痛い」「違和感を感じる」「まず最初に」「後で後悔しても知らないよ」「〜的な感じで」あたりを目にしたときと同じモヤモヤを感じるんですよね。
筆者が書く場合は、
「クライアントとのやりとりでは、以下を気をつけましょう」
といった書き方をすると思います。どうしても前項を名詞形にしたい場合、「クライアントとのやりとりで気をつけるべきことは、以下です」くらいでしょうか。
続いて、2。こちらは「走る」という動詞をいったん「走ること」という名詞形にして、そこに「なる」をつけて動詞に戻すという工程を経ています。「それなら最初から動詞でいいじゃん」というのが「イヤ」派の意見でした。
まぁ確かにそうですよね。普通に、
「フルマラソンでは、42キロもの長距離を走ります」
で十分です (前後の文脈がない中で結論づけるのもどうかとは思いますが)
このように、意味の重複が発生したり、不要な工程を挟んだりして文章を冗長化させるだけなので、動詞の名詞化を嫌う人は、意外と多いのかもしれません。少なくとも筆者の周りでは多かったです (話を聞いた人の7割くらい)
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この動詞の名詞化は、かなりの頻度で見るので、おそらく多くの人が「文章を名詞から始めたい」という衝動に駆られるのだと思っています。
では、なぜそうなるのでしょうか?
理由は分かりませんが、個人的には、文章全体の流れが見えていない、書いている目の前の一文だけしか見えていないのが原因なのかなぁ、と予想しています。あるいは単純に、人間は名詞から書き始めたい生物だから、とか?
このあたり、もう少し考えてみると面白そうです。
とにもかくにも、意外と嫌がる人が多そうなので、今後も自分の文章では避けていこうと思いましたとさ。
とりあえず、そんなところです。
眠いので、寝ます。