前回のラストで、未定と付記しつつ違うテーマを書くと予告していた気がするが、面白い記事を読んだので、そこで思い出した話を書く。
前にも紹介したとくさとさんのブログから、上の記事。
「できること」さがしで困った就活生時代
就活生の頃、誰かから「できること」をアピールしましょうといわれて、困った思い出がある。
別の記事で書いた気もするが、筆者には自分の「できること」が、いつまでも見えなかった。自分にできる程度のことは、ほかの誰かもできるし、もっとできる人がたくさんいると思っていた(いまでも思ってはいる)
だから、自分の中では「できるほう」だと思っていることでも、それはアピールに値しないと尻込みして、面接の場で話すこと自体に抵抗があった。結果、200社に落ちたのは他で書いたとおりだ。
会社にいるから仕事があるのではと不安だった社会人1〜3年目
社会に出てからも折りに触れ、自分の「できること」はなにかと考える機会が多かった。だが、就活生の頃と同じように「ほかの人よりもできること」に縛られており、明確な答えを得られないまま時を重ねる。
正確には、当時は就活生時代より症状が悪化していた。「そもそも自分には、できることなんてないのでは?」と怖かった。
会社に所属している以上、よほどのことがない限り、仕事は与えられる。窓際族や追い出し部屋があるほど、日系企業は寛容だ。生殺しとも言えそうだが。
筆者も某大手企業(上場企業)に常駐していたとき、追い出し部屋を見たことがある。8年くらい前の話だ。8畳くらいの部屋で、40代くらいのおじさんが一人、スマホでゲームをしていた。本人に不満はなさそうだったが、あの人はまだ、あの部屋にいるのだろうか。
もちろん、そこまで突飛な企業は一部だろう。だが、程度の差はあれど、大抵の日系企業は社員(のリストラ)に寛容な気がする。最近は黒字経営でも希望退職を募るようになり(2019年は上場企業での希望退職者数が過去5年で最多に)、その感覚もフラットになりつつあると思うが、まだまだ従業員に優しい印象だ。
とにもかくにも。
社会に出た後、最初の3年間は特に「自分は何もできない人間だけど、会社にいるから仕事があるのでは?」という不安に悩まされてきた。
実際、当時の自分に「できること」など、何もなかっただろう。1つの仕事を覚えて一人前になるには、どんな仕事であっても数年以上かかる。社会に出て3年しか経ってない時点で、なにかを「できます」といえるはずもない。
もちろん、どんな3年間を歩んできたのかにもよる。筆者の3年は、できるならやり直したいと思うほどに、限りなく薄かった。ただの自業自得なのだが、そのあたりは下記に書いたので割愛する。
ただ、不安が先立って思考が曇っていた筆者は、そんな当たり前のことも冷静に振り返ることができなかった。
知識や技術があること=「できること」ではないと知ったニート時代
転機は20代後半。30を前にしてライトノベル作家をめざし、3社目の会社を退職。ほぼニートな生活が始まり、せめて日銭くらいは稼ごうと思い、フリーライターの真似事を始める。
会社を辞めてから2ヵ月後、ある編プロの方からメールをいただいた。就活対策本のゴーストライターを頼みたいという連絡だった。
筆者が大学時代に書き、放置していた就活ブログ(メールにはホームページとあるが、実際はブログ)からご連絡いただいた。
最初は「なぜこんな自分に?」と訝しんだ。これまでライターとしての実績は皆無。編プロの方なら、ほかにいくらでもライターの知り合いはいらっしゃるだろう。
だから、最初にお会いしたとき、筆者に依頼した理由を訪ねてみた。すると、お相手の方は包み隠さず話してくれた。
- 予算が少ないので、実績あるライターには頼めない
- 就活に詳しいライターがいない
- いますぐ動けるライターでないとならない
- ブログのような内容のことが書ければ、問題ない
要は、先方の頼みたい人物像に、筆者がマッチしたというわけだ。
このとき、筆者の中で「できること」に対する考え方が少し崩れた。必ずしも「知識や技術があること=できること」ではないのだなと。もちろん、あるに越したことはないのだが。
その後、筆者はライターとして少しずつ仕事をしていくが、探すときに必ず次の点を意識するようになった。
- タイミング
- ニーズ
- 報酬感
タイミングは、募集の切迫感。今すぐ人手が欲しいのか、どうか。メディアの更新ペースが過去と比べてどうか、急募の文字があるか、長期契約か短期契約か、などを指針としていた。
ニーズは、記事品質。どのくらいの内容を求めているのか。これは記事を見れば、なんとなく分かる。
報酬感も、募集要項に書いてあるので、それを見ればOK。
駆け出しの頃の筆者は、いますぐ人がほしくて、そこそこの記事を書いてほしくて、報酬はそこまで出せない企業に狙いを絞って応募していた。そこが当時の自分とマッチした案件=自分の「できること」だと考えた。
その予測が正しかったのか、結果ほぼ全案件で採用していただけた。もっとも、ゴーストライターを担当させていただいた出版社が有名だった力が大きそうだが。
「できること」のアピールには、フックが必要だとも気づいたニート時代
その後、ある程度の実績を積めたかなと判断したところで「タイミング」と「報酬感」の比重を落とし、かわりに「ニーズ」に重きを置いた営業に切り替えていった。要は「できること」のレベルを上げた。
理由は、当時の実力の100パーセントを発揮した実績を作りたかったから。仕事を重ねて知識や技術が多少なりついてきたが、それらを活かした仕事の実績がなければ、営業では通用しない。単に「seoの知識や技術があります」と言っても、クライアントはその真偽を判断できない=仕事を受注できない。だから実績が欲しかった。
最初なかなか上手くいかなかったが、わりと有名なITベンチャー(上場企業)と一緒にメディアを立ち上げる経験をさせて頂いて以降、一気に楽になった。
このときは、サイトコンセプト設計、サイト設計、ライター採用および管理、企画、執筆、取材、監修調整、校正校閲、アナリティクス分析など、いろいろやらせていただいた。結果的には上手くいかず(月間PV30〜40万くらい)ご迷惑おかけしてしまったが、この仕事のおかげで以降の営業活動はかなり楽になった。同社には貴重な機会を与えてくれたことも含め、感謝しかない。
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その後、貯金が底をついたのでニート兼フリーライターを卒業し再就職するが、このときの転職活動は自分でも驚くほどスムーズにいき、20日で終わった(詳細はvol.03に書いたので割愛する)
最終的に就職した会社が(会社には申し訳ない言い方だが)名もなきベンチャーだったのでうまくいった感は、正直ある。だが、別に最終選考まで進んだ上場企業もあり、同社の面接では先の上場ITベンチャーでの仕事が刺さった。失敗したとはいえ、そのチャレンジを高く評価していただけた。
少し長いが、冒頭のとくさとさんのブログから引用する。
また、あまりに無名な会社にいる時点で、業界TOPとか、経験を生かした異業種というのも難しい。たとえば制作会社から一部上場の事業会社に転職しようと思っても、まったく無名の、中小企業を中心に相手している制作会社からだとなかなか難しい。たぶん実力的にはそう変わらなくても、事業会社側がその実力を把握することができないから。これが業界TOPのWebコンサル企業だったら、相手も「なんと!あの会社でデザイナーを!(高くて発注できなかったなぁ・・・)」となって評価してくれたりする。だとしたら、間にもう1社挟むのも手なんだわいね。
自分にライターとしての実力があったとは思わないが、多少なり名のある企業と仕事したことや、そのときの失敗したなりの実績を一定評価いただけていたのは、引用文中の心理ゆえだと思う。
「できること」をブログに書いておく価値を再認識した再独立後
その後、再就職した企業を頭痛で退職し、改めてフリーライターに。その後の営業活動では、ライトノベル作家をめざしていた経験が大きな貢献をしてくれた。具体的には、次の2つだ。
1. この記事(本ブログの記事へリダイレクト)
2. 当時の経験をまとめたslideshare
特に後者は、某私立大学で授業をさせていただいたり、某スタートアップからホワイトペーパー制作依頼を頂いたり、畜産系メディアの編集長にお誘いいただけたりと、いろいろなきっかけになっている。
今は昔と違い、いつなにがきっかけとなって仕事につながるかわからない。だからこそ自分が得意なメディアで「できること」を発信しておくと、いろいろ仕事の幅が広がる気がする。
おわりに
社会人経験10年で、経験社数4社。間にニート時代が3年半あり、経験職種も広すぎていずれも浅い。社会人として見れば、下も下だと我ながら思う。
ただ、ここまで書いてきた経験から、そんな自分にも多少なり誰かが必要としてくれる「できること」があると実感できたことで、今では少しだが(根拠のない)自信がついた。 特に自分が好きでのらくらやってきたニート時代の経験(上のブログとslideshareの2つ)に興味を持ってメッセージや仕事をくれる方が少なからずいたのは、とてもうれしかった。
冒頭で紹介した、とくさとさんのブログは次の2文で締められている。
がんばるのは大事だけど、がんばりすぎても良くないし、キャリアアップだけが人生でもないし。
いまの会社で楽しく仕事して、そのままでいいなら(そしてそのままでいられるなら)それが一番いいんよ。
自分自身、特にキャリアアップを望む人生を送っていないので、今後も仕事で必要以上の自分磨きをするつもりはないのだが、せめて自分を頼ってくれる人のために、期待に対して120パーセントの成果を返したい。
自分にとっては「それが一番いい」道なのだと思っている。