今までと少し毛色の違う話をする。
このあいだ、仕事で訪れた某社の営業部が「社員にやる気がなくて困ってる」という話を聞いた。営業部全体の成績が落ちつつあり、その原因が社員のモチベーション低下にあると見ているようだ。
その後、インセンティブ制度を作るなどして打開を試みたが、いまのところ目立った成果は見られないらしい。
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会社員は、
- 仕事が大好きな人
- 仕事がわりとどうでもいい人
の2種類に分かれると思う。やる気に関していえば、前者はあふれていて、後者は相対的に少ない。ちなみに、筆者は後者に属する。
自分がそんな人間だから、前々職でプロジェクトリーダーを担っていたときも、メンバーのやる気を頼らないマネジメントをしていた。
在職2年11ヵ月で担当した部下は、20人ほど。担当したプロジェクトは3つ。別プロジェクトに移動した後も、前チームのメンバーから「いまの上司、やりにくいです。戻ってこられませんか?」「そっちのチームに異動できませんか?」と裏で相談されるくらいには上司として信頼してもらえ、チームとして成果も出せたと思っている。
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当時、やる気に関しては、
- 水物である
- なくても成果は出る
- 成果が出ない理由を、やる気のせいにしてはいけない
と考えていた。
1。
人間どれだけ仕事に熱い人でも、いつどんな要因でやる気が低下するか分からない。
当時、メンバーの一人に嵐の大ファンがいたが、あのとき熱愛や解散の報道が為されていたら、彼女はそこから数日間は間違いなく休んだと思う。実際、解散が公になったとき、3日ばかり有給を取ったと本人から聞いた。
2。
手前味噌だが、前々職時代、仕事にやる気が全くない自分でも、新卒2年目・入社3ヵ月目でプロジェクトリーダーにはなれるくらいの成果は出せた (当時いたのは社員4,000人の人材系企業)。この実体験から、やる気がなくても成果は出ると考えている。
3。
仕事で成果が出ず、クライアントから「なんでですか?」と聞かれたとしよう。このとき「すみません、今月やる気なくて」と答えたら、相手は間違いなく怒る。先方は「これだけの成果を期待して、これだけのお金を払っている」のだから。
クライアントと握った成果は、約束だ。自分や部下のやる気に関係なく達成しなければならない。施策が外れたり、予期せぬ外的要因が影響したりして、未達に終わる時もあるだろう。ただ、その原因として「やる気」を持ち出すのは、クライアントに対する不義理だと考えている。
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ここにリーダーのジレンマがある。
人の気持ちはどうしたって揺れ動く。嫌なことがあって仕事に集中できない、悲しいことがあってやる気が出ない、という日は必ずある。筆者のように、そもそもやる気がない人もいる。
その事実を無視して「お前の事情なんか知るか。クライアントと約束してるんだから、やる気なくてもこれだけの成果を出せ」などと言おうものなら、彼・彼女は次の日、姿を見せないだろう。それはマネジメントとはいわない。ただのパワハラだ。
一方で、クライアントから見れば、やる気に関係なく成果は出してもらわなければならない。そういう契約でお金を払っているのだから。自販機で350mlのジュースを選んだのに200mlが転がり出てきたら、誰だって怒る (もちろん、仕事は自販機ほど単純なものではない)
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この矛盾を解消する上でポイントになるのは「義務感」だと思う。
会社員がいちばん怖いものはなにか。解雇だ。だから、やる気はなくても「最低限これだけはやらなければ」という意識は大抵の人が持っている。
義務には、人によって程度の差はあれど、必ず危機感が伴う。やらなければならないという危機感。だから義務感を煽れば人は動く。
ただ、義務感を叩くときは注意が必要だ。
やる気がないメンバーにとって、仕事とは「義務」だ。義務とはつまり「やらなければならないもの」だ。
つまり、メンバーは仕事を「やらされている」。筆者が「やらせている」。
この関係格差が、メンバーに不信感を植えつける恐れがある。簡単にいえば「自分だけやらされている」と思われかねない。
回避するには手を打つ必要がある。わかりやすいのは、こんなところだ。
- 自分もメンバーと同じ業務を一部、担当する=背中を見せる。
- 自分が何をやってるか、常に開示しておく。たとえば、PCを並べて仕事をする (常に画面が相手に見えていて、いま何をしてるか分かってもらえる)
リーダーにはリーダーの仕事がある。端的には、成果がリーダーやメンバーに依存しない、誰がやっても同様の成果を生み出せるチームづくりが、リーダーの第一の仕事だ。
だから、メンバーと同じように動いてはいけない。「できない」ではない。たとえできても、それは「やってはいけない」。例外は、リーダーが現場に入らないとチームが回らないときだけだ。
しかし、多少なり「同じ」苦労を共にしないと、メンバーはついてこない。メンバーとはそういうものだ (同じという点がポイント)
メンバーは通常、リーダーの仕事がどんなものか知らないし、想像を巡らすこともない。だからいきなり仕事を振ると「自分だけやらされている感」を覚えて不満を抱く。「お前ふだんなにしてんのかしらないけど、お前もやれよ」と。
だからこそ自分がリーダーになったときは、仕組みを作りつつ可能な限り現場に入っていた。メンバーの信頼を獲得できたのは、間違いなくそれゆえだ。その1点ゆえと言い換えてもいいと思う。
やや余談だが、筆者は毎日ニコニコでプレイ動画を見ているが、ゲームに登場する指揮官などが率先して現場仕事をこなすシーンになると、コメント欄は「率先して仕事をこなす上司の鏡」「ついていきたい上司」というコメントであふれかえる。
世間的が思う、部下と上司の理想の関係とは、そういうものだ。
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そういうわけで、当時の筆者もまた現場に率先して入っていた。
求人原稿制作のプロジェクトでは、メンバー5人と同じ量の制作業務を持ちつつ、クライアントへの月次報告書の作成やそのためのデータ収集、施策の立案やメンバーからの要望の対応などをこなしていた。
督促のプロジェクトでも、メンバー3人と均等に督促受け持ち顧客を割り振り、ひたすら電話をかけたり督促状を作ったりしていた。
メンバーは喜んだ。自分の仕事が減るのだから当然だ。
ただ、後任のリーダーは苦労したと思う。申し訳なかった。
筆者がリーダーをやったプロジェクトのメンバーは「リーダーも現場仕事をやるのが普通」だと思ってしまう。実際、離れたプロジェクトのメンバーから、後に「今のリーダーは現場の仕事をそんなにやってくれない」という愚痴を何度も聞かされた。
もちろんこれは後任のリーダーが悪いのではなく、筆者のミスだ。先述のとおり、リーダーが現場に入りすぎてはいけない。
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筆者は今でも仕事に対するやる気はない。働かなくて済むなら働きたくないし、仕事を通じて自己実現や社会貢献をしたいという欲もない。
働いているのは単純に「生活費のため」であり、仕事の選び方は「自分が最も得意なことだから」だ。
だが、そんな個人的な事情とは関係なく、任された仕事で成果は出さないといけない。
だから、仕事では常に「クライアントの想定する120%の成果を出す」ことを意識している。
仕事とは、やる気とは関係なく、そうあるべきものだと捉えている。