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どこで読んだか忘れたんですけど、前に北方謙三さんが、
小説は主観的に書かれるけど、それは客観的に理解されなければならない。
といった主旨のコメントをされているのを拝見しまして。
前後の文脈を覚えていないので、ストーリーに関する話だったのか、文章の話だったのか定かじゃないのですけど、キャラクターに関してこの点から思うところがあり、少し思考を整理してみようかなと。
(ちなみに「ラノベ新人賞に応募するときのキャラクターに関して」です。ラノベ全般のキャラクターの話ではありません)
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ラノベはキャラクター小説ですから、格好良い・かわいいキャラクターがいないと評価されません。ただ、ここで難しいのが「格好良い」「かわいい」は主観であるという点です。
イチローさんのようなルックスや生き様を格好良いと思う人もいれば、思わない人もいるでしょうし、ダルビッシュ投手や大谷選手の場合もまた然り。
このように「格好良い」という感覚ひとつ取っても、その感じ方は千差万別。この手の字面は同じでも中身は別物という言葉はいくらでも転がっています。というか、固有名詞ですら感じ方が分かれる以上、ほぼすべての言葉がそうだと言えるでしょう。
で。ラノベのキャラクターは、当たり前ですが、言葉で形作られます。しかし、その言葉がとかく主観的なものであるとするなら、キャラクターの客観性はどうすれば担保されるのでしょうか。そもそも担保する必要があるのでしょうか。
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その話の前に、キャラクターの客観性とは何かをもう少し詰めておきましょう。
まずラノベのキャラクターを構成する要素として考えておくべき点は、本当にざっくりカテゴライズしてしまえば、
- ルックス
- 内面
この2点。よって、キャラクターに付随する客観性とは、
- ルックスの客観性
- 内面の客観性
となります。
ほかにもキャラクターの歴史とかあると思いますが、結局はこの2つに収束すると思われるので、ここでは割愛します。
1. ルックスの客観性について
これは先の例のとおりです。「かわいい」と書いたとき、読者にもそのキャラクターを「かわいい」と理解してもらえるかどうか。外見はもちろん振る舞いも含まれます。
2. 内面の客観性について
これは行動原理などの客観性ですね。主人公やヒロインの行動に一貫性があるのかないのか、彼・彼女の決断があり得るのかあり得ないのか、などなど。
以降、この2つについて、次の2点をテーマとして話を進めます。
- そもそも客観性を担保する必要はあるのか
- 必要があるなら、どうすれば担保できるのか
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必要性については、個人的には「ある」と思っています。厳密には「ラノベなら、ある」と。
たとえば、純文学系の小説は基本、自己投影型(共感型といってもいいです)の作品であるべきだと思うので、主客の境界が不可分とはいかないまでも、曖昧な状態を維持したほうが良いと考えています。
よって、
- ルックスの客観性は、そこまで細かくないほうがいい
- 行動原理の客観性は、限りなく追求しなければならない
のかなと。
より具体的に書くと、シーンが理性的にではなく感覚的に、自然と脳内に浮かぶよう、想像力が働く余地を多く残しておくべきだと思います。
一方で、共感や感情移入のベースとなる行動原理などの内面については、限りなく客観的である(=みんな理解できる形である)ことが必要だろうなと。
読書中に理性が働くと、キャラクター(客体)と読者(主体)の同一性は崩れてしまうので、共感や感情移入が働きにくくなると思います。で。それは純文学系のスタイルを破壊してしまう(恐れがある)ので、避けたほうがいいんじゃないかなと。説明描写を減らすなどして。
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対してラノベは、
- ルックスの客観性は、限りなく追求しなければならない
- 行動原理の客観性も、限りなく追求しなければならない
かなと。
ラノベは基本、主客分離型の作品だと思います。読者は限りなく第三者。
そのため「共感」「感情移入」をベースとする純文学とは違って、その手の感情を与えるのが基本のジャンルだと考えます。純文学系の感情が「湧き上がる」のに対して、ラノベは「与えられる」、そんなイメージ。
わかりやすさ優先で、あえて酷い例を出しますと、登場人物が死んじゃうと誰だって悲しいですよね。これは「悲しさを与えられている」ケースです。身も蓋もない言い方ををしますと「悲しさの押し売り」。
そう考える理由は大きく2つあります。
- 読者の年齢層
- キャラクターのあり方
前者。今でこそラノベの読者年齢層って30代くらいまで上がりましたけど、メインは変わらず10〜20代。で。この世代は、30代以上の人と比べると人生経験は多くありません。だから「湧き上がる」系の共感や感情移入って、ピンと来ないケースも多いんじゃないかなと思ってます。
後者。ラノベはキャラクター小説です。キャラクターが立たなければいけません。言い換えれば、主人公を自分に置き換えるとか、そういう楽しみ方をする人はレアケースだと思います。
こうした背景から、ラノベは主客分離型=感情を与えるスタイルのほうが向いているんじゃないかと(あくまで向いているというだけで、主客同一型のスタイルがNGという話ではありません)
ただ、ここには、
- 書き手側の年齢
- ジャンル
この2つの問題もあると思います。
前者について。若い人たちは読者層の喜怒哀楽をリアルに体験できて記憶にも新しいから、ストレートに自己投影型の作品で勝負できるんじゃないかなと。逆に30代の筆者には、もう若い子のリアルが分かりません。
余談ですが、そうした事情があるからこそ、やっぱりラノベ創作者って若い人のほうがいいんだろうなと思ってます。ラブコメとか恋愛とか、日常系の作品の場合は特に。
後者について。ファンタジーなどは現実に存在しない要素で物語を構成するため、そもそも共感や感情移入につながりにくいです。どういうことか説明すると長いので、理由の詳細が気になる方は、以下をご覧ください。
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特に筆者は、ラノベ作家をめざし始めたのが28歳だったので、最初から主客分離型で勝負しようと決めていました。そこで考えていたのが、
- 文章力
- 演出力
この2つを磨くことでした。世界や物事をどう切り取るかといった感性よりも、当たり前の喜怒哀楽をいかに魅力的に見せるか。共感や感情移入のベースとなる人生経験を共有できない(できる可能性が少ない)年齢層に向けて、その感情を与えられるように。
もう少し具体的に書きますと、ラノベ新人賞の評価基準は、
- キャラクター
- ストーリー
- 設定・世界観
- 文章力
大きくはこのあたりだと思いますが、個人的な優先順位は、
- キャラクター
- 文章力
- 設定・世界観
- ストーリー
と置いてました。
キャラクターが最上位なのは当然ですね。キャラクター小説だからです。
で。次に持ってきたのが、文章力。この理由は上記に書いたとおりです。文章力を磨かなければ、新人賞では勝てないと考えていました。また世間的には「ラノベの文章はひどい」と言われているので、これを磨けば周りとの差別性になるとも考えていました。
3番目に設定・世界観を置いたのは、消去法です。ストーリーは最後でいいと考えていたので、あまった設定・世界観が3番目に来ました。
ストーリーを最後に持ってきたのは、押し売りを補助してくれる「王道」「テンプレ」といった便利なツールがあるから。これで努力を多少なり省力化できます。一方、設定や世界観、要は作品世界の枠組みを作る力は、アイデアの発想力や構成力が必要になります。
また、ストーリーは設定・世界観をベースとして成り立つものなので、ベースとなる設定の完成度に依存します。言い換えれば、設定がしっかりしていればしっかりするし、ダメならダメになります(もちろん、そこまで簡単な話ではないですが)
もっとも、ここは作品を形作るスタンスの問題もあるでしょう。筆者は作品のテーマそれ自体でオリジナリティを出し、ストーリーは王道・テンプレを踏襲する方針で創作しています。もしテーマはありふれたもので、ストーリー展開で勝負するという方は、この優先順位は逆になるでしょう。
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話がずれたので戻しましょう。
主客分離型のラノベで特に難しいなと感じているのは、キャラクターの主観性と客観性をいかにして両立するか、という点です。
ラノベのキャラクターは「格好良い」「かわいい」でなければいけません。
で。たとえば「かわいい子がいる」とだけ書いたとしましょう。これだけでは、読者は「かわいい」とは思いません。だから「どうかわいいのか」書く必要があります。
ただ、先にも書いたように「かわいい」は主観です。読者にも「かわいい」と思ってもらう=客観性を担保するのは、容易ではありません。
ただ、ラノベには純文学やエンタメ小説にはない、便利なツールがあります。テンプレです。
以前、ブログのどこかで「慣れないうちは、キャラクターはお約束=テンプレで固めたほうがいい」と書きましたが(書いたはず。苦笑)、これには理由が2つあります。
- 多くの人が大好きだと分かっているから(信頼性)
- 理解されやすいから(客観性)
信頼性は書き手側の都合の話、客観性が受け手側の都合の話です。
テンプレは、多くの人が好きだからこそテンプレとして成り立ちます。これは言い換えれば、大半のファンの中で「好きなもの」として確立されているということです。
つまりテンプレは、本来なら維持しにくいキャラクターの客観性を担保してくれる、ありがたい存在です。
ただここでネックになるのが、テンプレが担保してくれるのは客観性=誰でも「かわいい」と思ってくれるかどうか、です。言い換えれば、主観性が失われるリスクはあるのかどうか、ということです。
主観性とは? 早い話、個性です。
たとえば、けっこう前の話ですが、落第騎士とアスタリスクのアニメが始まったとき、ネット上で「ステラとイリス、同じやん」という声が多く見られました。テンプレを満載した結果、キャラクターの個性が失われたと多くの人は感じたわけですね。
個人的には全く似てなかったので「よくわからん・・・」と傍観していたのですが、世間的には「要素が同じであれば、その見え方がどうであれ、同じに見える」というのは大きな発見でもありました。
客観性オンリーのキャラクターは、世間的には既視感が強く、それだけで魅力は減衰してしまいます。しかし個性が強すぎると、今度は「かわいくない・・・」と思われてしまうリスクが高まるようです。
ただ個人的には、キャラクターはテンプレ満載で良いと思っています。理由は「ファンなら違いが分かるから」です。
大半のラノベファンはステラもイリスも違うキャラとして認識しているでしょうし、たとえ同じように見えても「それでいい」と思っている気がします(当時の筆者の印象では)
で。ラノベは「世間」ではなく「ラノベファン」に向けて書かれるものですから、世間的にどう見えているかとか、わりとどうでもいいと思っています。
余談ですが、筆者の知人にAKB48が大好きな人がいます。
で。筆者には全員同じに見えるので、そう言ったところ、延々と魅力の違いについて説明されました。つまりファンは違いが分かるので、特に気にする必要ないかなと思っています。
要素(テンプレ)が共通するキャラクターなんて、探せばいくらでもいます。ただ、その見せ方はみんな違います。で。見せ方が違えば、ファンは(おそらく)その違いをきちんと認識できるので、個性がないと感じる人はいないんじゃないかなと。
だから要素はテンプレで良くて、その見せ方が違えば、キャラクターの個性は担保されると思います。つまり、
- 客観性は「どんな要素=テンプレが使われているか」で担保する
- 主観性は「その要素=テンプレが、どう使われているか」で担保する
これでいいのかなと。
個人的には、これでキャラクター評価が一気に3から5に上がったので、わりと「これでいい」と確信しています。根拠がないので妄信ともいいますが。
思うがまま一気に書いているので、たぶん後で推敲します。
とりあえず、そんなところです。
眠いので、寝ます。