swatanabe’s diary

webライター、ラノベ書き(アマ)。だいたい創作とゲームとラノベの話です。

語り得ぬリアリティをどう扱うか /『ガーリー・エアフォース』を読んで

買ったまま積んでいた『ガーリー・エアフォース』を、ようやく読み終わりました。

 

ガーリー・エアフォース (電撃文庫)

ガーリー・エアフォース (電撃文庫)

 

 

以下ネタバレ注意です。

 

     *

 

どんな作品か簡単に書いておきます。

  • 世界は謎の飛翔体(戦闘機)である《ザイ》に襲われている
  • 主人公たちは《ザイ》から日本および世界を守るために戦っている
  • 《ザイ》には《ドーター化》という特殊な措置を施された戦闘機《ドーター》しか太刀打ちできない
  • 《ドーター》は《ザイ》を構成するコアをベースに生み出される
  • 《ドーター》を操る少女型の自動操縦システムを《アニマ》と呼ぶ
  • 《アニマ》は通常《ドーター》を1人で操る
  • 主人公とヒロインの《アニマ》だけは、2人1組でないと《ドーター》を飛ばせない

要は、特殊な戦闘機・ドーターで侵略者たるザイから世界を守る主人公・ヒロインたちの物語です。

主人公の青年は母親を目の前でザイに殺され、以来、自らの手で連中を撃ち落とさんと復讐心を秘めながら避難生活を送ります。

その後、紆余曲折を経て、彼は学生生活と並行しながら、日本のドーター部隊である独立混成飛行実験隊の一員として活動するように。ザイから日本と世界を守るため、ヒロインのアニマである少女とともに空を飛ぶ、そんな物語です。

 

結論、面白いです。すごく面白い。面白いとしか言いようがないくらい面白かったです。

 

ガーリー・エアフォースVII (電撃文庫)

ガーリー・エアフォースVII (電撃文庫)

 

(ライノ一番好き)

 

     *

 

で。本題です。

まず前提についてふれておきます。

 

主人公はザイを消滅させるべく奔走しますが、その中で2つの壁にぶつかります。

  • ヒロインは今まで時間遡行を繰り返し、ザイを過去の世界へ送ることで未来を守ってきたが、主人公は彼女ひとりに全てを押しつける平和はお断り
  • ザイを消滅させる別の手段が見つかるも、それによってザイと大元を同じくするアニマも消滅することが判明、主人公はそんな手段はお断り

つまり、ザイの脅威から世界を救うには、ヒロインたちを犠牲にしなければならないジレンマに苦しみます。彼はそんな未来お断りなのですが、そうしないと世界は救えません。さてどうすればいいのか? というわけです。

 

結果、彼は以下のような経緯を辿って、最終的にヒロインたちを犠牲にして世界を救う決断を下します(犠牲と言い切ってしまうのは正しくないのですが、話の分かりやすさを優先して、あえて言い切ります。ご容赦)

  1. 世界の存亡とヒロインのどちらかを選ばなければならない事実に直面する
  2. ヒロインを選び、世界を救わないと公言して、以降の任務を放棄する
  3. ヒロインを含め周りから総スカンを食らう
  4. じゃあどうすればいいんだよと悩む主人公
  5. あれやこれやあって、世界もヒロインも救う第3の道を模索する決意を固める
  6. 突如、ザイが攻めてくる
  7. そこへ主人公がいきなり戻ってきて、自分も戦闘に参加すると言い出す
  8. 身勝手に出ていったくせに、いきなり翻意して戻ってきた主人公に納得できない仲間たち、でも一時的に関係を修復してザイを追い払う
  9. 任務終了後、仲間たちにこれまでの自己中な振る舞いを延々説教される主人公、これにて一旦は雨降って地固まる
  10. 第3の道を見つけるも、その先にはアニマたちの消滅という副作用があることを知らされる
  11. 再び悩む
  12. なんやかんやあって、最終的に世界を救う道を選ぶ
  13. 世界が救われる

 

ガーリー・エアフォースX (電撃文庫)

ガーリー・エアフォースX (電撃文庫)

 

 (個人的にもう少し出番がほしかったパクファ)

 

     *

 

こうした展開を見ると、前に知人が言っていた言葉を思い出します。曰く、

「世界の平和と恋人や友人の命を天秤にかけたとき、迷わず前者を取るはず。後者を選ぶのは、リアリティがない」

というもの。

 

理屈の上では至極当然の話ですね。世界数十億人と一人の友人や恋人、両者を天秤にかけたとき、どう考えても前者に傾きます。命の重さが等しい以上、最大多数を救う道を取るのが合理的な選択です。

ゆえに知人は、この手の自己中な展開にはイライラすると言っていました。「世界の存亡がかかってるのに、自分勝手なワガママ言った挙げ句、身勝手な自棄を起こすとかあり得ないだろ」というわけです。

 

この気持ち、正直わからなくもないです。

が、同時にモヤモヤするのもまた事実です。

 

というのも、この手の選択は経験し得ないわけで、じゃあそこに伴うリアリティとは一体なんなのか? というのが、いつも気になるので。

 

ガーリー・エアフォースVIII (電撃文庫)

ガーリー・エアフォースVIII (電撃文庫)

 

 (主人公以外にはどう見えているのか気になって仕方がないバイパーゼロ)

 

     *

 

世界の存亡と恋人の命を天秤にかけた経験なんて、誰も持っていません。そのため「あり得ないだろ」と言われても「わからん」としか言いようがないわけです。

であれば、この手の場面のリアリティは、想像するしかありません。

 

ここでいうリアリティは、納得感と言い換えられます。主人公の行動原理が読者にとって納得できるものであれば、それは「リアリティがある」と言ってよいでしょう。

では、この納得感は、どう生み出されるのか?

 

ことライトノベルに関して言えば、フィクションにおけるリアリティを担保する方法として、以下の2つがあると考えています。

  1. テンプレ・王道を踏襲する
  2. 現実の体験を延長する

 

1については、正確には「リアリティの担保から目を逸らす」に近いかもしれません。

たとえば「曲がり角で食パンをくわえた女の子とごっつんこ」というテンプレ、ありますよね。こんな展開、現実ではおよそあり得ない=リアリティがないわけですけど、あると嬉しいドラマチックな展開として、わりとすんなり受け入れられてきました(最近はもう見かけなくなりましたが)

この応用で、どうあるか分からない=そもそもリアリティを担保できない場面に、せめてこうあってほしい=ドラマ性をあてこむ、というのが1の考え方です。

 

分かりやすい例としては、御都合主義ですね。御都合主義にリアリティはありません。あるのは、誰もが「そうあってほしい」と願う内容そのままのドラマです。

 

ガーリー・エアフォース (3) (電撃文庫)

ガーリー・エアフォース (3) (電撃文庫)

 

 (一番ヒロインしていたのは、何気にファントムな気がする)

 

対して2は、先の『ガーリー・エアフォース』のような展開です(同作の場合、正確には1と2の折衷という色が強いので、例としては少し不適切ですが、ご容赦)

これは簡単にいえば、その手の事態に直面したキャラクターが持つパーソナリティ(価値観・性格・知識・経歴など)を踏まえた時、彼・彼女がどう振る舞うのが適当か、現実の事例を延長して模索する方法です。世界の存亡に直面したこどもの選択を考える場合、現実のこどもが大きな決断を下す場面を想定する、そんなイメージです。

 

この場合、こどもが感情的に振る舞うのは想像に難くないでしょう。感情的な判断や振る舞いを「こどもっぽい」と形容することからも。実際、けっこう大きな選択に直面した時、こどもっぽい決断を下す大人は少なくないと思います。

もちろん、現実の大きな出来事と世界の存亡は、まったく違うものです。そのため現実の決断に伴うリアリティを延長して、世界存亡の決断に伴うリアリティを担保することはできません。

ただ、現実に立脚してリアリティを担保しようとすると、どうしてもこうなると思います(少なくとも筆者の中では)。そのため最後は価値観の問題に帰着するかなと。つまり「こどもっぽい選択をしている」とイライラさせてしまうか、「まあそういうものよね」と納得してもらえるか。

 

ガーリー・エアフォース (2) (電撃文庫)

ガーリー・エアフォース (2) (電撃文庫)

 

(もうちょっと目立ってほしかったイーグル。ファントムと比べて出番が圧倒的に少ないのが残念だった)

 

     *

 

1と2は「未体験のリアリティは語り得ない」という認識は共通していますが、1は「語り得ないのだから、理想を追求しよう」を志向し、2は「それでも多少なりリアリティを担保しよう」を志向する点で異なります。

 

『ガーリー・エアフォース』を読んで感じたのは、ベースを2に置きつつ、1を入れ込んで納得感を担保(あるいはストレスを中和?)すると、割りとすんなりした展開になるのかなという点。

主人公の決断は「こどもっぽい」展開のため、大人の読者だとイライラする人も出るんだろうなと思う一方、その後の展開(先の5〜9あたり)が完全テンプレのため、ラノベを読み慣れている人なら、リアリティよりもテンプレに意識が向く=「こういう展開あるよね」という感覚がストレスを中和してくれるので、そこまで気にならないのかなと思ったり思わなかったり。

 

まとまりがないですが、そんなところです。

眠いので、寝ます。