swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

25歳まで小説が大嫌いだった話

近況
  • 次作の構想が3割くらいで詰まったので、『円環少女』に続いて『スレイヤーズ』『ブギーポップは笑わない』『アリス・リローデッド』『狼と香辛料』『オリンポスの郵便ポスト』『韻が織り成す召喚魔法 -バスタ・リリッカーズ-』『悪魔のミカタ 魔法カメラ』を購入。電撃文庫の古いところを中心に、1日1冊ひたすら読んでます。
  • ニコ生のエモーション、どうにかなりませんかね・・・。使用を強制するという仕様(ダジャレではない)はさすがに改悪だと思うのです。ROM専だっていっぱいいるだろうに・・・。Adblockで消しても、今度は画面がスクロールできなくなるし、運営さんホント使用するか選べるようにして。
  • また一つ、好きなラジオ番組「久米宏のラジオなんですけど」が終わってしまいました。

 

     *

 

読書感想文の是非がtwitterで盛り上がってますね。あれを強制していることが、読書嫌いの一因になっているのではないか、と。

筆者は読書感想文を書いた経験が一度しかないのですが、そもそも国語が嫌いだったので、友人が書いたガンダムかなにかの同人小説(黒歴史)を読んで、タイトルや登場人物をそれっぽく改変して提出しました。あとでバレて、こっぴどく怒られましたが(苦笑)

ちなみに、なんで読書感想文は同人小説じゃいけないんでしょう?

 

それは置いといて。

絶対にやらないといけない宿題として提出された読書感想文を放棄するくらい、当時の筆者は国語が嫌いでした。前にもどこかで書いた気がしますが。

きっかけは、小学生時代に「傍線部の主人公の気持ちを答えなさい」的な問題を間違えたとき、先生から聞いた解説が納得できなかったことです。「先生は作者にそうだって聞いたんですか?」と食ってかかるくらいには、受け入れられませんでした。今から思えば、ただの負け惜しみだったんだと思いますが。

 

でも、当時の自分(小学3年生)にとって、この出来事は決定的な影響を及ぼしました。

これ以降、筆者は国語の授業を真面目に受けなくなりました。中高と進学して親の成績に対する目が厳しくなり始めると、多少は「しかたない」と思って授業に耳を傾けましたが、それでも評論だけです。小説や随筆は、受験勉強の時期を除いて、意地でも聞きませんでした。ホント面倒くさいヤツですね(苦笑)

 

     *

 

この筆者の小説嫌いは、大学卒業直前まで続きます。

ちなみに、評論の授業に対する抵抗は、次第に薄れていきました。論理的に読めば、きちんと答えを導けると知ったからです。先生の解説を聞くと「あぁ、なるほど確かに」と納得できたので、大学受験直前には(得意だったのもあって)むしろ好きな授業の一つでした。

でも、小説の授業はいつまで経っても好きになりませんでした。むしろどんどん嫌いになっていきました。「先生はそう読むのが正しいと作者に聞いたのか?」「みんな思い思いに、自由に読んでいいじゃん」。そんな疑問や不満が膨らむ一方でした。

それを証明してやろうとでも思ったのか、図書室の大量の赤本を引っ張り出して、同じ小説を出題している大学はないか? その両者で作品の解釈が違っていないか? なんて粗探しをしたこともあります。我ながら「そのエネルギー、ほかに回せよ」としか思わないですねホント(苦笑)

 

     *

 

そんな筆者が小説に興味を持つようになったのは、大学5年生のときでした。

当時、就活で200社ほど全敗し、半ば自棄に陥っていた筆者は、放送作家の養成機関めいたところへ入所しました。ラジオが好きだったので、そっちの道でもめざしてみようとか思ったんだと思います(当時は心を完全に病んでいたので、なに考えてたか、正直よく覚えていません)

で。その中で講師の方から「テレビやラジオに限らず、いろんなメディア作品の流行に触れておくこと」という教えを授かり、さっそく実践してみようと相成りました。

メディア作品。そこには当然、小説も含まれます。

そんなもの見たくもないと毛嫌いしつつ、しかし言われたからには読まなければならないというわけで、仕方なく本屋へ向かいました。ただ、なにが流行なのかわからないので、とりあえず「直木賞受賞」と平積みにされていた作品を購入しました。

 

それが、桜庭一樹さんの『私の男』でした。

 

いま思い返しても、初めて読んでときの衝撃といったら、なかったです。「こんなこと書いていいのか」と。読んだことない方は、とりあえず読んでみてください。もう内容はうろ覚えなのですが、小学生の女の子と大人の男性がドロドロに爛れた恋に落ちて、それを諌めようとした知り合いが恋路の邪魔だから池に沈めて殺してしまって、みたいな話だったと記憶してます(かなり怪しい)

そんな凄まじい作品ですから、ネットの評判はさぞ賛否両論だろうと思ったら、案の定そうでした。一般の方々はもちろん、専門家のあいだでも評価が分かれてました。

ただ、筆者にはそれが天啓のようにも感じられました。

ああ、やっぱり小説はみんなが読みたいように読んで、感じたいように感じて良いメディアだったんだな、読み方を強制して評価までつける学校の授業のあり方がおかしかったんだな、と。学校の先生より小説の見識があるプロ作家たちの間でも評価が割れるわけですから。

もっとも、半分はそう思いたかっただけですね。学校の国語の授業のあり方が間違ってるのかどうかは、よくわかりません。教育の専門家などではないので。こどもの発育過程においては、あのスタイルが良いのかもしれません。

 

     *

 

とにもかくにも、こうして筆者は、齢25にして小説というメディアと素直に向き合えるようになりました。

その後は、文芸、SF、ファンタジー、ホラーなど、国や時代を問わず読み漁るようになり、気がつけば、縦2メートル*横1メートルくらいの本棚が重さに耐えきれず自壊するほどの書籍を買うようになりました。

そして遂にはラノベと出逢い、ラノベ作家めざしてみようとか思い立って約4年ニートをやるなど、小説でいろいろこじらせて下り坂一直線な人生を送っております。

 

いやはや、まさか昔はなによりも毛嫌いしていた小説にハマりこんで人生を狂わされるとは、昔の自分に話したらどんな顔するだろうと思わずにいられません(絶対に信じないだろうなぁ。笑)

 

そんな自分の経験を振り返ると、確かに読み方や読むこと自体を強制されると、国語や読書嫌いになってしまうこどもたちもいるのかなぁ、と思ったり思わなかったり。

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。