swatanabe’s diary

webライター、ラノベ書き(アマ)。だいたい創作とゲームとラノベの話です。

クラウゼヴィッツ『戦争論』vol.007|どんな手段を用いる戦争であれ、必ず「闘争」を伴わなければならない

《参考図書》

 

《今話で取り扱う範囲》

  • 戦争における目的と手段(第1篇・第2章|p.75〜)

 

     ◇

 

どんな手段を用いる戦争であれ、必ず「闘争」を伴わなければならない

戦争とは敵戦力を撃滅して、こちらの意志すなわち政治的目的を相手に強要させるための手段です。ですが、その目的達成のために用いられる手段が、必ずしも敵の殲滅だけではないことが、vol.006で示されました。

ですが、戦争の最終的な目的が「敵戦力の撃滅(からの政治的目的の強要)」であることには変わりがありません。用いるのがどんな手段であっても、その行為自体はこの目的を志向しています。

 

たとえば、いち領土の占領を目標とする作戦があるとします。このとき敵を撃滅するのは、もちろん「領土を占領するため」ですね。つまり目標は「領土の占領」です。しかし、なんのために領土を占領するのかと言えば、すなわち「敵戦力を撃滅して政治的目的を強制するため」です。

 

さて、このように敵の撃滅以外にも取り得る手段(目標)があると分かりました。

ではvol.006で登場した6つの手段(クラウゼヴィッツはこれをよく「軍事的行動」と呼んでいます)のあいだの優先度はどうなっているのでしょうか。

 

クラウゼヴィッツによれば、それは「時々の状況によって変動する」とのことですが、どの手段においても「闘争」を伴わなければならないとも述べています。

それは、たとえ戦争が行われない場合でも変わりません。なぜなら、敵に「闘争をしかけられたらこっちがやられる!」と思わせられれば、それだけで最終的な目的(政治的目的の強制)を達成できるからです。つまり、実際に戦わないとしても「闘争」という概念は絡んでくるわけですね。

以上の議論から、先の6つの手段(目標)のうち最上位に来るのは「敵の撃滅」であることが分かります。

 

     *

 

ただ、敵戦力の撃滅は相手と直接・全力でぶつかり合うので、かなり危険な手段です。一方、このほかの5つの手段は、敵の撃滅と比べて(失敗したときの)危険性はそれほどでもありません。ただ、そのぶん撃滅ほどの効果が期待できないというデメリットもあります。

では、この撃滅以外の5つの手段が採用されるのは、どのようなときでしょうか。クラウゼヴィッツは「撃滅の危険を避けるために採用される」ことがあると言います。なんらかの理由で敵の撃滅を指向できない場合、その代替案として採用されるのが、この5つの手段ということですね。

 

ただ、そうなる(撃滅ほどリスクが大きくない)ためには1つの条件があります。それは、敵がこちらと同じく撃滅以外の手段を採用することです。

もしこちらが撃滅以外の手段を講じ、一方で敵がこちらを完全に撃滅しようとした場合、たとえこちらが急いで撃滅に移ったとしても、不利な状況に陥ることになります。敵に先手を打たれており、こちらの陣容は相手の撃滅を踏まえられていないからです。よって、撃滅以外を「いま講じるべき妥当な作戦」と判断する場合は、この条件を満たしていなければなりません。

 

     *

 

ここでクラウゼヴィッツは「こうした直接的な撃滅(決戦)以外の方法を用いるからといって、それは単に純粋な防衛を目的としてはいないということに注意せよ」と忠告しています。いくら決戦を主目標としないからといって、守り一辺倒ではないということですね。

ここでいう「決戦以外の作戦」が妥当だと判断されるのは、そこに「積極的な目的」があるからです(その詳細、つまり各手段にどんな目的があったのかは、前回のvol.006で書いたとおりです)。クラウゼヴィッツは、単に守りを固めて相手の疲労を待つだけの「完全に受動的な抵抗」を良しとしません。

 

ところで、ここでいう「積極的目的」に対立する決戦の「消極的目的」とは、なんでしょうか。

それは「自軍の維持」です。完全に受動的な抵抗とはこれを目的とするものだとクラウゼヴィッツは言います。

 

ちょっと話があっちこっちに行っているので、ここで少し整理しましょう。

 

まず「敵戦力の撃滅」という軍事的行動には、積極的目的と消極的目的があります。前者はすなわち「敵の完全な打倒」で、一方の後者はすなわち「敵を疲弊させて、その意図を挫くこと」です。そして、前者は自ら敵と決戦を交えますが、後者は敵の撃滅行為を待ち受けて、これを凌ごうと動きます。

 

ですが、この消極的目的を指向した行動も、やはり最終的には積極的目的の遂行(すなわち敵を撃滅してこちらの政治的意図を相手に強要すること)をめざしていることを忘れてはいけません。

この消極的目的を指向する行動のメリットは、いわば「時間稼ぎ」です。では、その時間はなんのために稼ぐのか。それは「好機が訪れるのを待つため」です。そして、その到来と同時に積極的努力(=決戦を交えること)に転じるわけです。言い換えれば、積極的努力に転じる気のない消極的努力(=時間稼ぎ)にはなんの意味もないということです。その場合、最終的な目的である「敵を撃滅してこちらの政治的目的を相手に強要する」ことが実現できないからです。

 

すべての戦争は、この「敵の撃滅」と「政治的目的の強要」を目指していることを忘れないようにしましょう。

 

     *

 

以上で第2章の話が終わります。最後にこの章を簡単にまとめておきましょう。

 

第一。戦争において政治的目的を達成する道はいくつかあります。敵と決戦を交えることだけではありません。

第二。しかしそれでも、目的を達成する唯一の手段は敵戦力の撃滅=闘争です。この点を忘れないようにしましょう。

第三。よって、一切の軍事的行動は、なんらかの形で闘争を伴います。たとえ、実際に決戦を交えないとしても、相手に「こちらが攻めてきたらやられる」と思わせる必要がある点で、闘争という概念が絡んできます。リアルな「闘争」か、あるいは「闘争」という概念が必要となります。

第四。そのため、敵が闘争で目的を実現させようと目論む場合、こちらはそれに応じなければなりません。

第五。なぜかと言えば、決戦とは別の方法をとれるのは、敵が決戦に訴えないか、訴えても勝てない場合に限られるからです。こちらが闘争以外の方法をとり、相手が決戦を交えようとした場合、こちらがやられてしまいます。

 

ちなみに、決戦や闘争、武力と、いくつか似たような単語が出てきますが、とりあえず同じような意味で使われているのだなと考えていただいて問題ありません。