swatanabe’s diary

webライター、ラノベ書き(アマ)。だいたい創作とゲームとラノベの話です。

クラウゼヴィッツ『戦争論』vol.001|戦争とは、こちらの意志を相手に強要するための最終手段である

《参考図書》

 

《今話で取り扱う範囲》

  • 緒言(第1篇・第1章・第1節)
  • 戦争の定義(第1篇・第1章・第2節)
  • 極度の強力行使(第1篇・第1章・第3節)
  • 戦争の目標は敵の防御を完全に無力ならしめるにある(第1篇・第1章・第4節)
  • 彼我双方の力の極度の使用(第1篇・第1章・第5節)

 

     ◇

 

戦争とは、こちらの意志を相手に強要するための最終手段である

「戦争とはなにか」

クラウゼヴィッツは『戦争論』の最初の章のタイトルを、こうつけました。というわけで『戦争論』は、まず「戦争とはどういったものか?」を定義するところから始まります。そして、クラウゼヴィッツは戦争を「一対一の決闘の拡大版」として考え、そこから次のように定義しました。

 

「戦争とは、相手にこちらの意志を強要するための強力行為である」  

 

要は「言ってもわからないなら力づくで従わせよう」という意図で起こされるのが戦争です。なんだかジャイアンみたいですが、とにもかくにも戦争の「目的」は「相手を自分の意志に従わせること」であり、それを達成するための「手段」が「強力行為」ということです。

 

ですが、こちらが戦いをしかければ相手も黙ってはいません。必ずやり返してきます(そうしないと負けてしまいます)

では、いったいどこまで戦えば、相手はこちらの意志に従う(=こちらの目的が達成される)のでしょうか。クラウゼヴィッツの定義に沿うならば、戦争はそのラインに達しないと終わりません。言い換えますと、そこまで戦い切らないと、こちらが負けてしまいます。

クラウゼヴィッツは、このラインを「相手が防御力を失ったとき」だとしました。防御を無効化されてもう抵抗できなくなったとき、相手は屈服してこちらの意志に従うわけです。よって、ここから「戦争を通じてこちらの意志を相手に強要するためには、まず敵の防御を無効化することが必要」だと分かります。

 

ここまでを簡単にまとめてみましょう。戦争の目的、目標、手段は次のようなものであると言えます。

  • 戦争の目的:相手を自分の意志に従わせること
  • 戦争の目標:相手の防御力を完全に無力化すること
  • 戦争の手段:強力行為(暴力行為)

強力でもって敵の防御力を完全に無力化することで、相手を自分の意志に従わせる、これがクラウゼヴィッツの言う「戦争」です。

 

     *

 

ただ、この定義に関して反対する人たちがいました。彼らはこう言ったそうです。

「戦争は、協定を結んで相手を武装解除するか、あるいは降伏させるだけで十分だ」

この主張を上記の3点になぞらえて定義すると、こうなります。 

  • 戦争の目的:相手を自分の意志に従わせること
  • 戦争の目標:協定を結んで相手を武装解除する
  • 戦争の手段:強力行為(暴力行為)

目指すべき「目標」が違うわけですね。

 

しかし、クラウゼヴィッツはこの批判を「間違いだ」と一蹴します。そもそも戦争とは本質的にそういうものではない、彼らは戦争を誤って解釈していると。

その根拠として彼は、戦争に必ず付随する3つの「交互作用」というものを挙げます。これについては、第1章の第3節から第5節までを使って説明されています。一つずつ見ていきましょう。

ちなみに、この交互作用という概念ですが、ここでは簡単に「こちらを立てればあちらが立たず」のようなものだと思ってください。

 

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まず1つ目の交互作用。クラウゼヴィッツはそれを「極度の強力行使」と名づけました。噛み砕いて言えば「こちらが手を出せば、敵も手を出してくる。逆もまた然り」ということです。

戦争において、こちらは相手の防御力を徹底的に破壊することで、相手を自分の意志に従わせようとします。ですが、これは当然、相手にも言えることですね。相手も自分たちの意志をこちらに強要しようと強力を振るってきます。だからこそ戦争となるわけです(相手が無抵抗なら戦いは発生しません)

すると、なにが起こるか?

敵が攻めこんできたら、こちらも敗けるわけにはいかないため、相手を上回る暴力を叩きこもうとします。ですが、そうなると相手もさらにやり返してきます。そしてそれを受けて、今度はこちらもさらにやり返さないといけない。するとさらに……

 

もうお気づきかと思いますが、戦争には、このように互いの行使する力が際限なく膨れ上がっていく性質があるのです。

互いが互いを撃ち破ろうとして、行使する力がどんどん大きくなっていく、そのうちに互いの行使する強力がやがて極限(発揮できる力の限界)に達する、これがクラウゼヴィッツの言う第1の交互作用「極度の強力行使」です。

 

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次に、2つ目の交互作用です。クラウゼヴィッツは、それを「戦争の目標は敵の防御を完全に無力ならしめるにある」と言いました。簡単にいえば「逆転のチャンスがあると思えれば、相手は戦意を失わない。だから、こちらの攻撃は常に相手を今よりまずい状況に追いこむものでなければならない」という意味です。

 

戦争の「目標」は、相手の防御を完全に無力化することです。しかし、これが「一時的な無力化」であってはいけないとクラウゼヴィッツは言います。なぜか? 無力化が一時的なものであれば(言い換えれば、やがて無力化が解けると分かっていれば)、相手はやがて訪れるかもしれない好機を期待して、引き続き奮闘するからです。

そのため相手を攻撃するときは、必ず以下のどちらかの条件を満たさなければなりません。

  • その攻撃が、相手をいまよりも不利な状況に追いこむものであること
  • その攻撃が、相手をいまよりも不利な状況に追いこむ「と思わせる」ものであること

どんどん不利な状況に追いこまれていけば、それだけ相手も勝利の可能性が遠退くように感じます。

これは、野球で考えると分かりやすいでしょうか。初回に1点だけとられて9回ウラまで来ても、点差は1点ですので、まだ勝てる可能性を感じながら戦えます。ですが、毎回1点ずつとられて9回ウラまで来た場合、そのときには9点差がついてしまっています。こうなると「まだ勝てる」と思って9回ウラに臨むのは、さすがに難しいですよね。ファンも8回ウラあたりで帰っていそうです。

 

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最後、3つ目の交互作用です。クラウゼヴィッツはこれを「彼我双方の力の極度の使用」と題しました。

たとえば、敵の抵抗力がどのくらいなのかを推量して、それに対してこちらの戦力が十分なら、こちらは優位を確保できます。しかし一方、不十分ならば劣勢に陥ることになってしまいます。

ここでポイントなのは、もし相手が「自軍は劣勢だ」と分かったら、どう振る舞うかという点です。当然、優位を確保しようとしますよね。つまり、こちらの優位に対して、相手は戦力を増して優位に立とうとするわけです。

そして、これによって今度はこちらが不利になります。よって、その状況を打開するために今度はこちらが相手を上回ろうとします。

もうお分かりですね。このようにしてどんどん際限なく戦力の積み上げがつづく、これが第3の交互作用です。

 

このとき、相手の抵抗力は「現存する資材の総量」(兵隊や兵器など)と「意志力の強さ」から推し量ることができるとクラウゼヴィッツは言います。

ですが、前者は実在する「物」だから純粋に数で比較することができますが、後者はそうもいきません。数やデータで拾えるものではないので。もっとも、この難解さはクラウゼヴィッツも認めていて、せいぜいのところ「戦争の動機の強弱」によって推し量るしかないと述べています。

ちなみに余談ですが、クラウゼヴィッツの『戦争論』が革新的だったのは、こうした精神的な要素を含めて戦争理論を分析した点でした。

 

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3つの交互作用について簡単にまとめておきましょう。

  1. 第1の交互作用:こちらの攻撃が激化すれば、伴って相手の攻撃も激化する。逆に相手の攻撃が激化すれば、こちらも攻撃を激化しなければならない。
  2. 第2の交互作用:もう打つ手がないレベルまで相手を追いこめば、相手をこちらの意志に従わせることができる。逆にもう打つ手がない状況に追いこまなければ、相手は息を吹き返す。
  3. 第3の交互作用:こちらが戦力を増やせば、相手はそれを上回る抵抗力を築こうとする。逆に相手が抵抗力を増したなら、こちらはそれを上回る戦力を保持しなければ優位に立てない。

クラウゼヴィッツの定義によるなら、戦争とは「相手にこちらの意志を強要する強力行為」です。その定義のもとで戦争を考えると、そこにはこの3つの交互作用が必然的に付随します。彼の定義が真であるならば、両軍は必ず上で述べたように動くからです。よって、先の人道主義者たちのような批判は当たらないというのがクラウゼヴィッツの主張です。戦争にはこれらの交互作用が本質的に備わっているため、双方は必然的に限界まで強力(暴力)を行使することになるからですね。