swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

過程(プロセス)の意味と価値

近況
  • 次作、ようやく第1章・完です。ただ、いったん形をつけただけなので、見直しが大変そう。今作は資料の準備だけで、プロットを用意しないで書いているので、執筆にめちゃくちゃ時間がかかります。

 

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今日は言葉遊びです(身も蓋もない)

 

このあいだ知人の会社が、プロセス評価がうまいこと機能しないと困っていました。コンプラ的に聞けないので、詳細は分かりませんが。

筆者が就活生だった2000年代後半、説明会で何度もプロセス評価の話を聞いた記憶があります。「うちは結果だけでなく、過程も評価します!」というやつですね。ベンチャーに多かったでしょうか。

最近の会社は、どちらに軸を置いているんでしょう。あるいは両方? うちの会社は両方ですが、プロセス評価のほうは正直、評価者の主観が入りやす過ぎる仕組みになっている気がするので、あまりうまく機能していないんだろうなぁと思ったり思わなかったり。

 

閑話休題。

知人の会社でうまく回っていない原因は、ざっくり聞いた感じ、評価に値するプロセスについての共通認識が作れていないことなのかなと。

結果で評価する場合、何を指標にするか? だいたい売上や契約件数といった数字になると思います。この場合、共通認識を作る必要はありませんね。数字は客観的なので。
(設定された数字が目標として適正値か否か、という議論は別の話なので割愛)

一方、過程を客観的な指標で評価するのは、なかなか難しい気もします。というか、そもそも結果に現れない部分を見るための評価指標として過程があるので、そうする必要もそこまでないわけですが。

とはいえ、客観性がない方法で共通認識を作るのは、そこそこ難儀。過程を評価する場合、どういう視点からお互いの納得感を担保すればよいのでしょう。

 

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ここからは、筆者が仕事における過程をどう捉えているかという話。

個人的に、過程には「意味」と「価値」があると考えています。

 

先に「価値」から。

過程の価値を決めるのは、要は結果につながったか否かです。結果につながらない過程に価値はありません。当然ですね。ユーザーやクライアントに価値を提供できていないので。

では、価値がない過程はすべからく無駄かというと、決してそんなことはありません。そこで機能するのが過程の意味です。

 

たとえば、結果にはつながらなかった(価値はなかった)けど、その過程を経ることに意味があったケースは珍しくありません。客観的・論理的な分析に基づき、こうしたプロセスを踏めばこれくらいの結果が出ると試算したけど、実際は諸々の要因からやや未達で終わってしまった……こんな話ですね。

こうした失敗は、今後失敗する可能性を1つ潰せた、より結果につながるプロセスを生み出す知見を得られた、といった点で意味があります。つまり「価値はないけど、意味はある過程」です。

個人的には、価値がある過程はもちろん、価値はないけど意味はある過程も、評価に値すると思っています。というか、そうじゃないと失敗を許容できない文化ができあがるので、会社としてヤバい気がします。

 

ただ、当然ですが、価値だけでなく意味もない過程は評価に値しません。とにかく頑張りました的なやつはもちろん、的はずれな分析で実質的になにも考えないで仕事しているケースとか。

過程に意味を持たせるには、どんな過程が結果を生むのか、それを考え抜く必要があります。ただ漫然と努力しただけの過程は、残念ですが、意味も価値もゼロ。

ただ、社員の中には、こうした「価値も意味もない過程」も評価に値すると考えている人が意外と多いのかなという気もします。誰もが自分なりに頑張ってはいるので、それは必然、評価に加味されると考えたくなるものでしょうしね。でも、それを評価してしまうと、もはや評価制度が崩壊しますし、社員に甘えを許すことにもなります。

だからこそ、評価指標についての共通認識は事前に形成しておく必要があります。そうしないと、必ず不満が出るので(それが合理的な批判であれ、理不尽な文句であれ)。

ですが、そのあたりきちんとやっている会社は意外と少ない気もします。うちですか? ええ、もちろんやれていませんね(おい。苦笑)

 

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言い換えれば、結果さえ出ていれば、過程に意味なんかなくていいと思っています。意味って主観的なものですから、個人の裁量でどう決めてもいい。早い話、結果さえ出していれば、たまにサボろうが、ゲームしながら仕事しようが、どうでもいいわけです。

もちろん、それを会社が良しとするかは別の話です。会社がNGというなら、それに従うしかありません。

ちなみに、うちのチームの上長は「結果さえ出せば、ルールを破らない限り、なにしてもいい」という人なので、報連相など最低限のことをやりつつ結果をちゃんと出せば、就業時間中に昼寝しようがゲームしようがマンガ読もうが自由。筆者も仕事中は、プロ野球OBのYouTubeを垂れ流しつつ、合間でゲームやったりニコニコ見たりしながら仕事してます。

 

ただこの場合、つまり「価値はあるけど、意味はない過程を経て結果を出した人」の「意味」の評価をどうするのか、という問題が生じます。ゲームしたりニコニコ見たりしながら働いていた社員の過程は、果たして評価に値するのか? 何も考えないでガムシャラにやっていただけの社員はどうなのか?

個人的には、過程と結果の優先順位を会社がどうつけるか次第かなという気がします。等しく重みを置くのであれば、当然こうした姿勢は論外。結果優先なら、過程の評価の重みを下げて結果にほぼ全振りすればいい。そんな感じですね。

では、なにをもって優先順位をつけるのか? その判断基準も会社それぞれでしょう。再現性あるプロセスを組んで会社の知見としたい、そのために社員にも仕事の過程を考え抜いてほしいと思っている会社なら、過程と結果の評価の重みは等しくしないと意味がありません。一方、数字がすべて、プロセスとかどうでもいいという会社なら(そんな会社ある?)、評価の重みは結果全振りでいいでしょう。

 

といったところで、人事でもマネジメント層でもこの手の専門家でもないので、適当な話はこのへんにしておきましょう。思うがまま整理しないで書いているので、あとで少し整頓するかもしれません。

 

とりあえず、そんなところです。

眠いので、寝ます。