swatanabe’s diary

ラノベ創作、ゲーム、アニメ、仕事の話など。仕事はwebメディアの仕組み作り・アライアンスなど。

"キャラが動くまで待つ" という創作スタイルに影響を受けた話

仕事を増やしたり、新人賞の締切が近かったり、大ファンの同人サークルから待望のエロゲーがリリースされたりで、ただいまブログの優先度がたいへん下がっており、しばらくは公募原稿が間に合わなそうという現実から逃避するために筆を取る感じになると思います(原稿やれ)

(・・・そういえば、締切いつだっけ)

 

     *

 

他の方がどんな創作スタイルなのかを聞くのが好きで、以前にSNSで「自分の作品の作り方」について晒し合うという遊びをけっこうやっていたのですが、そのとき話を聞いたある方の創作スタイルが、今でも強く印象に残っています。

彼女の創作スタイルは、舞台(世界観や設定、大まかなストーリーなど)を用意したら、あとはとにかく「キャラクターが勝手に動くのを待つ」というものでした。目を瞑り、1文字も書かず、ひたすら神の視点からキャラクターたちの様子を見守るんだそうです。「動かないときないんですか?」と聞くと「動くまで待つんです」と躊躇なくイケメンな返信を頂き、素直に根気すげーと思いました。

 

もともとそういうスタイルだったのか尋ねてみると、最初は何も考えず書きたいように書いていたそうです。しかし、あるとき「これじゃキャラクターたちが操り人形みたいで可愛そう」と思い、今のスタイルに落ち着いたと言っていました。同じような悩みで苦しんだ物書きさん、けっこう多そうですね。

 

最初のうちは、まったく動かなかったそうです。だから創作活動も、原稿を前にして、ただ目を瞑っているだけ。家族から椅子に座ったまま寝てると思われたことも一度あるとか。

ただ、日常生活でいろいろ考えたり感じたりして自分の思考や価値観、心境に変化が起こると、それが作品にも波及してキャラクターが自然に動く日がくるそうです。

だから、よく小説以外の本を読んだり、やったことがないことを経験するようになったと言っていました。そうして自分の内面にあえて波風を立てると、色々な一面を見せてくれやすくなるんだそうです。

 

この話を聞いたとき、「ああこの人の中では、キャラクターたちは確かに生きてるんだなぁ」と、なんだか微笑ましくも羨ましくなったのを、よく覚えています。

 

     *

 

この話を聞いたのは自分が創作を始めたばかりの頃(6〜7年くらい前)で、その後、自分なりの創作スタイルを模索する上で大きな影響を受けました。彼女とキャラクターの関係性が羨まし過ぎて、無意識のうちに自分をそっちに寄せていったからなのかなぁと思わなくもありません。

 

筆者のいまの創作スタイルは、ひとことで言えば「脳内に浮かんだ画を言語化する」です。具体的には、脳内にはアニメが流れていて、自分はそこに展開されている情景やキャラクターの表情・振る舞いなどを紙面上に書き起こしていきます。

ただ、彼女のようにキャラクターが動くまで待つことはありません。無理に動かそうとはしませんが、たとえば紙の上で話しかけてみたり(仮にセリフを書いてみる)、刺激を与えてみたり(置かれた環境を変えてみる)、そういった仕掛けは打ちます。その結果すんなり反応したシーンを画にする、そんなイメージです。

仕掛けとして、最もよく使うのは音楽です。ゲームBGM。特にバトルシーンを書くときは、必ずキャラクターイメージやシーンに合ったBGMをかけています。これをやるようになってから、戦闘シーンの展開で詰まることはなくなったので(面白いかどうかは別の話。笑)、自分に合っているんだろうなぁと思います。

 

これまでいろいろな創作スタイル(たぶん20通りくらい)を試してきましたけど、最終的にはあらゆる面でこれが最もしっくりきているので、今も踏襲し続けています。

 

このスタイルに感じている自分なりの主なメリットとしては、

  1. 解説を地の文に委ねすぎていないか判断しやすい
  2. セリフ前後の展開が単調になるのを避けやすい
  3. アイデアを発想しやすい(特に各シーンの細かい設計がやりやすい)

などがあります。

 

1。

脳内アニメには地の文がありません。言い換えれば、設定の説明などをすべてキャラクターにしてもらう必要があります。

で。この脳内アニメを視聴していてストーリーや設定が理解できない場合、そのまま書き起こしても、読者が飽きたり会話の流れに違和感を抱いたりする可能性が高いと経験則的に判断しています。大抵の場合、地の文に説明を委ねすぎていて、セリフだけ拾ったときに流れが通じていないので。

地の文の書き方も影響してくる上(地の文を回想的=セリフ的に使うなど)、価値観にも依ってくるので一概には言えませんが、個人的に説明で地の文を頼り過ぎるのは控えるべきという立場で、「セリフだけ拾ったときにストーリーも設定もわかる」「地の文での説明はあくまで補足、雰囲気の加算のみ」を理想としています。

で、その理想を追求する上で、この創作スタイルはとても便利です(地の文に頼らないのはさすがに無理ですが)

 

2。

「なあ」彼は言った。「なに?」彼女は言った。のように、セリフ+言った+セリフ+言った、的な単調な繰り返しに陥る事態を避けやすいです。シーンに起こった変化だけを書き起こすように意識するだけで、余計な表現を書かなくて済むようになるので。

こうした単調性に陥ってしまう原因は人それぞれでしょうが、筆者自身がこの悩みを解消できたきっかけは、現在の創作スタイルにしてから=どんなシーンを書きたいのか具体的にイメージする癖をつけてからでした。

個人的には「語彙力」と「シーンを具体的にイメージする力」があれば、この単調性に陥る心配はなさそうかなぁという気がしています。

 

3。

ストーリーを構成する各シーンの細かい展開を想像しやすいので助かっています。

筆者は大きなストーリーを考えるのは得意なのですが、ストーリーを構成する各シーンをつなぐのがとにかく苦手でした(細かい点の詰め具合が甘いまま見切り発車する癖があるので)。そのため、つなぎの部分(起承転結でいえば、起と承の間みたいなイメージです)に差しかかると、いつも筆が止まっていました。

今の創作スタイルにしてからは、この「書いてて詰まる」という悩みが減りました。なんでかわかりませんが・・・(おい。苦笑)

おそらくですが、自分の演出・セリフ・展開などのネタのストックが、軒並み映像で保存されている影響かなと思います。

前にも書いた気がしますが、筆者はラノベ書いているくせに、ラノベをほとんど読みません。アイデアの大半はゲーム=映像から得ています。だからこそ、映像ベースで創作するというスタイルが、そもそも向いていた=詰まらないで済んでいるのかなぁと、薄っすらですが感じています。

 

なにはともあれ、現状これ以上ぴったりのスタイルがないので、しばらくはこれでいこうと思います。

ちなみに周りからは「変なの」「よくわからん」とたいへん不評です。ええいいですとも自分が何事においても変人だという自覚は20年前から持ってるので痛くないですともええ。笑。

 

とりあえず、そんなところで現実逃避を終了したいと思います。

眠いので、寝ます(書け)